【ごあいさつ】
2024年、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました。本年も、より一層の精進を重ねて行く所存でございます。変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、重ねてよろしくお願い申し上げます。
最初に、元旦夕方に発生致しました能登地方を震源とする大規模地震により犠牲となられた方々に心よりお悔み申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地域の一日も早い復旧・復興を衷心よりお祈り申し上げますと共に、当社も災害用品に携わる企業として救援物資の支援に全力を尽くす所存でございます。
【網膜裂孔のレーザー治療を受けました】
さて、実は昨年末ぎりぎりに、私は左目の網膜裂孔のレーザー治療を受けました。
人間ドックの結果「眼底写真に異常所見が認められます。眼科にて詳しい検査をお受けください」と医者に言われてしまいました。
自覚症状は無かったですし、医者も「一応念のため」くらいの感じでしたので、とくに心配もせずに気軽な感じで専門医の診察を受けました。
精密検査の結果、異常所見が認められた箇所については何も問題無し。しかし人間ドックの検査では分からなかったのですが、網膜に裂け目ができているとのことで、このままでは網膜剥離に進行してしまう危険性が高いということで、緊急に今からレーザー治療を行う選択肢を提示されました。
心の準備もほとんどできていないまま手術同意書にサインをし(この時が一番緊張しました)、診察室からそのまま治療室へ。すぐにレーザー治療開始。10分程度で治療は終了しました。
眼帯ぐるぐる巻きにでもされるのかな?と思ったのですが、そんなことは何もなく、普通の姿で病院を出て、スマホもすぐに見られますし、拍子抜けするぐらい呆気なく終了しました。
問題発見から解決まで、待ち時間を入れても3時間ほどで、思い悩む暇もないまま流れるように解決しました。当日少し重痛いような感じがしただけで、翌日には普通でした。
【同年代の友人たちとの会話】
11月中頃から年末にかけて今年は数回、忘年会が有りました。
その中でも中学時代の柔道部と剣道部の同窓有志の会と、高校時代の柔道部とラクビー部の同窓有志の会について今回は書きたいと思います。
還暦を超えてこの歳になりますと、共通の話題は病気の話であり、どちらの会も乾杯の後は病気話から始まりました。
どちらの会のメンバーも、この年になりますと、ほぼ全員が何らかの疾病もしくは手術歴を抱えていました。
冒頭のように、私の網膜裂孔のレーザー治療の話から始まり、次に昨年晩秋に腰椎分離症の手術をして未だにコルセットをしている友人が話し始め、そのあとは今年から入れ歯になった話とか、春になって暖かくなったら人口股関節の手術をする話や、昨年、心筋梗塞になりバイパスとステントを入れた話、脊椎の軟骨が加齢により仮骨し神経に触りカテーテルで削った話、果ては前立腺肥大症、神経痛になった話まで、どちらの会もさまざまな疾病のオンパレードでした。
【友人たちの体験談を聞いて心が楽になった】
我々の年代になると加齢により、今までの人生で起こったことが無いような体調の変化が次々と起こり始めます。
見えにくい、聞こえにくい、膝が痛い、つまずきやすい、疲れやすい、腰が痛い、記憶力が悪くなるetc・・・つまり老化現象。
悲しいけれど還暦を超えると誰にでも起こることです。そして老化現象に加え、年を取れば取るほど疾病リスクも高くなります。
私は不安症なので、いつもと違う体調になると全てのスケジュールを後回しにしてスグさま病院に飛んで行くのですが、それでも人間ドックのたびに「なにか病気が見つかるのでは?」と不安になります。
体が痛い日、疲れが取れない日が続くと、自分の健康はいつまで続くかなぁ?と心が曇ります。
しかし、いざ同年代と集まってお互いの疾病の経緯を経験者に聞くと、現代の医学の進歩を感じられますし、なんらかの疾病を抱えても騙しだましやっていけるし、それに疾病を抱えた以降も、こうやって皆で楽しく飲めるのだからと、必要以上の過度の不安が消えて、お互い「同類相哀れみ」ながら心が楽になりました。
飛蚊症と光視症で網膜剥離リスクに不安を抱えていた友人に、私の網膜裂孔の体験談を話したところ、「今の治療ってそんな感じなのか?!実際に体験したお前から話を聞いて、ぴんぴんしているお前の様子を見たら、長年抱えていた不安が取れた」と言ってくれました。私も友人達の疾病に対して同じ気持ちでした。
【ひびの入った茶碗でも】
会を終了するころになって、一同が「今後はますます油断はできない年齢に差しかかる」との結論になり、定期的な受診による健康管理と適度な運動そしてバランスの良い食生活を心掛け、「ひびの入った茶碗でも大切に労わりながら大事に使えば100歳まで生きられる」と話し、1年後の再開を誓って、病気の話から始まり病気の話で終わった忘年会でしたが、お互いの約半世紀にわたる変わらぬ友情も確認し合い、散会となりました。
あと最後に一言、私が提案したことですが、半数以上が未利用者でしたので、「社会インフラとしての役割と利便性の観点から、1年後の今日までに、全員がラインと割り勘の計算がしやすいようペイペイを始めよう」と勧め、ブーイングを浴びたところで、各々がお店を後にしました。