鬼の加藤先生

「過去の栄光を懐かしむことは地に落ちた人間のすることだ!しかし地に落ちてしまった時には、過去を分析し検証するのは構わない。そしてそれを糧に未来の栄光を目指すことだ」

 

この言葉は平成のバブル崩壊後、私に向けて故・加藤秀雄先生(講道館柔道九段)が仰った言葉です。

加藤先生は私の学生時代の恩師であり、奈良県天理高校に在職中、監督に就任され退任するまでの29年間に、なんと全国大会で16回の優勝を誇る輝かしい成績を残し、その手腕においては数々の金メダリストや世界選手権優勝者を輩出するなど柔道名門校の監督としてその名を馳せた先生です。

とにかく部員全員が憚ることなく口をそろえて「鬼のような先生」と表現していたほど、鬼の限界値を遥かに超えると言っても過言ではないほど、表現する言葉が見付けられないほど、それはそれは大変厳しく、熱く、強烈なインパクトを皆に残した先生でした。

この齢になった今でも、先生のことを思い出すと、緊張感に襲われ背筋が伸びるほどです。

 

さて話を冒頭に巻き戻しますと、私が30代前半頃だったと記憶しているのですが、加藤先生のご自宅を表敬訪問させていただいた時の出来事です。

数年間続いたバブル経済が崩壊し、日本経済全体は長期不況の真っただ中の頃でした。ご挨拶のあとすぐ、「立花、経営の方は順調か?」と加藤先生からお声掛けいただき、私は「3年ほど前までは年齢以上の収入で順調でしたが、今は生活に困窮する程ではないですが経営は厳しく、まだこの先は見えません」と答えました。

その当時、私は名古屋で就業し、宅建を取得した後、大阪でプリンセスホームという名で不動産会社を立ち上げていました。身を置いていた不動産業界は、メルセデスベンツに乗っていた方がいきなり翌日には夜逃げするような最悪の状況下であったし、卒業後から10年以上もの時間の経過もあったので、期待していた加藤先生からのお言葉は「みんなが夜逃げをするような不動産業界の中に居ながら、困窮せず何とか生活できていること」を労ってもらえると思っていました。しかし労ってもらえるどころか、冒頭のような厳しいお言葉を賜り、冷や汗を掻いたのでした。

 

柔道の創始者である故嘉納治五郎先生は、「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は攻撃防禦の練習によって身体精神を鍛錬修養し、斯道の神髄を体得する事である。そうして是に由って己を完成し世を補益するのが柔道修行の究極の目的である」とお言葉をお残しのように、「まさに生涯修行である」ことを厳しい加藤先生のお言葉により改めて実感することができた次第でした。

その後、不動産業を分析検証の結果、今の経営環境では業態の維持は不可能であると判断し、不動産事業の継続を断念しました。

その後は、以前より不動産業の合間に手伝っていた父の繊維業に本格的に取り組み、鐘紡株式会社の5次下請けであった会社を徐々に成長させながら、様々な諸先輩や関係ある諸氏に支えられながら、多角経営の企業として今日に至っておりますが、今思えばあの時、加藤先生に活を入れていただいたことで、「立ち止まっていても希望は無い。前を向こう」と再び歩き出せたような気がします。

加藤先生は全国優勝を手にしたその日の内から、もう翌年の優勝に向けて動き出す先生なのです。(※ゴールは無い>>)←キョーレツな話です。是非ご一読ください。

 

後日談ですが、加藤先生は晩年、道場で幼稚園児や小学生の柔道の指導をされていた時期があり、たまたま練習風景を拝見したことがあるのですが、数名の園児たちに馬乗りにされて、髪の毛を引っ張られながら押さえ込まれていました。

そのうえ「おじいちゃん先生、痛いか?」と園児が楽しそうに聞くと、「おじいちゃん先生、痛いよ!」と笑顔で答えていらっしゃいまいた。

鬼の加藤先生しか知らなかったので、呆気に取られる思いで先生を眺めていましたが、多くの重荷を下ろし、その厳しい表皮を一皮剥けば、これが本来の先生の姿で、暖かい愛情を湛えたお人なのだと感じました。

 

さぁ、新年度がスタートしました。

いつでも前を向き、未来を見つめ、全力投球していた加藤先生が、新年度最初の記事に相応しいと思い、懐かしい気持ちで綴らせていただきました。

 

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