ルールを作る?それともモラル向上を図る?

コロナ禍のような有事には、個人の権利と自由が尊重される「民主主義」の国よりも、個人の利益よりも全体の利益が優先される中国のような「全体主義」の国の方が強いと言われています。

同じ民主主義国でもイギリスやフランスやドイツや韓国をはじめとし多くの国では、マスクの着用や外出についてなど、罰則を伴う私権制限が導入されています。

日本ではマスクや外出について、そのような罰則はありません。

海外のように厳格なルールを作る方法も、日本のようにモラルに訴える方法も、どちらにも欠点も長所もあるので、どちらが正解・不正解はないでしょう。

 

会社を経営していると、ルールを作るべきか、モラル向上を図るべきか悩む場面があります。

もちろん現場での作業工程や施設の運営に関しては、ルールやマニュアルを徹底していますから、それらに直結しないマナー的な領域についての話です。(例えば備品や休憩室や社用車の使い方、掃除や整理整頓への意識etc・・・)

ルールを作ってしまうのが一番手っ取り早い方法なのでしょうが、あまりに何もかもルールで縛ってしまうと自発性が育ちません。

自発性が育たなければ、ルールやマニュアルに書かれていることだけを最低限守ってやっていればそれで良いと思ってしまう指示待ち状態の社員を作ってしまうように思います。

社員一人一人が自分の頭で考えて自主的に柔軟に動いてもらうには、時間がかかりますがルールで縛るよりもモラル向上を図る方が良いのだと思います。

ではモラル向上のためには、どうしたら良いのでしょうか?

どうしてモラルの意識が低い人が存在するのか?私自身の若い時を振り返ってみればモラルが高いとは決して言い難い人間だったので分かります。

悪人や変人は別として、一般の人でモラルが低い人は、その言動が大したことないと思っているのです。些細なことだと思っているのです。これぐらいなら問題無いだろう、別に誰も気にも留めないだろう、皆やっていることだろう?と、取るに足らないことだと考えているのだと思います。

街なかでモラルが低い人がいても、だれも関心を持たずに涼しい顔をしていては、本人は自分のモラルの低さに気づけません。「沈黙は賛同」になってしまいます。直接何かを言わなくても、眉をひそめたり顔をしかめたりする人が増えるだけでも、自分の行動がモラルが低く恥ずかしことなのだという事に普通は気づくでしょう。

社内でも同じで、モラルの向上を図るにはモラル違反を発見した時に「これぐらいは、まぁいいか」と見過ごしてしまわないことです。アクションを起こすよりも、見過ごす方が楽なものです。けれども何度も何度も繰り返し継続して、お願い事として上司が説明し改善を伝えて行くことで意識改革がされて行くように思います。

私の場合、社長という立場なうえ、顔もいかつい為、直接アクションを起こすと萎縮してしまう従業員もいるかもしれないので、個人宛てではなく全体への注意として社長通達を出すことが多いです。改善されるまで定期的に繰り返して出します。まだまだですが成果は出ています。

 

突然ですが、私の星座は12月20日生まれの射手座です。そして何者からも束縛を嫌う自由奔放な星の生まれです。と、たいていの星占いの本に射手座はそう書かれています。(笑)

ということによりまして、私は子供の頃から自由奔放で社会の規則やルールが嫌いでたまらないと言っても過言ではなく、それほど守れていなかったように思います。

そして今はどうか?と問われますと、自分を律し社会の規則やルールを当たり前に順守していますが、窮屈さを感じることは否めません。

モラルの方も、この年になると私自身に注意してくれる人が殆んど居ませんので、自分では気づかずに人に不愉快な思いをさせている場面もあるかもしれません。(そんな時は遠慮なく言ってください)

自由奔放だった私の少年時代ですが、小学校4年生で入門した少林寺拳法とボクシング、中学2年生から始めた柔道やアルバイト、社会に出て初めて所属した会社では別でした。その競技や、アルバイト先、会社を「大好きだから辞めさせられたら嫌だから」という理由で規則やルールを守っていました。

なんとも未熟な動機です。けれども強い動機です。経営者の立場で考えたら、生徒や従業員にそう言わせることが出来るなんて凄いなぁと素直に思います。

従業員のエンゲージメント向上についても考え中です。