ー2020年ー
2020年
12月
28日
月
対立する世界から、譲歩する世界へ
今年はさまざまなモノが「対立」した年であったと感じます。
・米中間では、貿易、テクノロジー、産業、知的財産権、コロナ発生の責任問題など、多くの領域で対立が深まっています。
・米国内では、白人警官により殺害された黒人のアフリカ系コミュニティの不満が爆発し、大規模な抗議活動が起こりました。
・米大統領選挙でも、南北戦争を彷彿させるような対立が起きています。
・日本の政治も右左の二極化が生じています。
・パンデミックの歴史の中で何度も繰り返されたことですが、経済を優先させたい者と、ウイルスの封じ込めを優先させたい者との間で意見が対立しています。
「公益のためには経済活動が必要だ」「公益のためには強力な自粛要請が必要だ」
これらの「公益」の中身も、一人一人イメージしているものが違うであろうと思います。
たとえば、経済的に豊かなことであったり、健康なことであったり、職があることであったり、安定した医療サービスが受けられることであったり、子供達がリモートで安全に教育を受けられることであったり、通常の学校生活を送れることであったりetc・・・
立っている場所が違えば視点も違う、見えている光景も違います。
互いが自分の主張を大声で言い合って、相手の話には耳を塞ぐことを続けていると、やがて本格的な諍いが始まり、それが「分断」へ「戦争」へと、より最悪な世界に突き進んで行くように思います。
それぞれ「正義」があっての主張で、だから譲れないのかもしれません。
しかし、どこかの時点で頭の熱を下げて、聞く耳を持ち、謙虚さを持って、相互の立場を尊重しながら折り合いをつけなければ、社会不安の脅威が拡大して行くばかりです。
ところで、車を運転しているとよく見かける看板があります。
『あおるより ゆずるあなたが かっこいい』と書かれた看板です。
この看板を見るたびに、自分自身の若いころの運転を思い出して恥ずかしくなります。
運転免許証を取得してから30代初めくらいまでは全てに渡り余裕がなく、若気の至りと元来の「せっかち」な性格が相まって、「たとえ3秒でも早く進みたい」と、他人様に不快感を与えてしまうような交通法規ギリギリの運転マナーだったように思います。(現在はゴールド免許を取得し、安全運転を心がけています)
運転に限らず多くの面で「アメリカファースト」ならぬ「自分ファースト」でした。
しかし「経営者意識の覚醒>>」の回でも書いたように、自分ファーストではなく譲ることを覚え、全てのステークホルダーの「良し」を追求するようになってからの方が、協力してやろう助けてやろうとしてくださる方が有り難いことに増えたので物事がスムーズに進みます。
冒頭で述べたような世界中で発生している対立も、あと少しだけでも人に譲って「折り合いをつける」ということが出来れば、今より良い社会が実現していくのではと思う次第です。
さて本年も稚拙なブログをお読みいただき、大変有難うございました。心より深謝申し上げます。
来る令和3年も引き続き精進を重ねてまいる所存でございますので、変わらぬご厚情を賜りますよう、伏してお願い申し上げますとともに、皆様のご健勝とご多幸、またコロナ禍の終息をお祈りいたします。
<お知らせ>
当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅「フラワーホーム」が、WEBサイト「老人ホームの図書館」様にて紹介されました。
インタビュー記事が掲載されています。
2020年
12月
06日
日
「当たり前」に感謝
【当たり前だったことが、当たり前でなくなる今】
今回のコロナ禍における状況を振り返ると、これまで「当たり前」だったことが「当たり前」で無くなってしまったことが数多くあります。
まず例えば日常の業務において様々な制限が加わったり、仲の良い友達やお客様との食事や会話を楽しめなくなったり、行きたい出張に自由に出かけることができなくなったり数え上げればきりがありません。
日ごろは「当たり前」と思っていたことも、当たり前では無いのだと気付かされました。
数ある思い浮かんだ気持ちの中から一例を挙げると、病院で診察や治療を受けることは「有り難い」と思うのと同時に、こちらは費用をお支払いし病院もそれで報酬を得られている訳ですから「医療サービスを受けるのは当然の権利」という気持ちもあります。
言い方を変えれば、お金さえ支払えば、誰でも当たり前に医療サービスを提供してもらえると思う気持ちがありました。
ところが現状は医療崩壊が叫ばれています。救急車を呼んでも、お金を沢山支払っても、医療サービスを受けられない未来が迫っています。
約1年に渡るコロナ禍で医療従事者は肉体的・精神的にも大変な負荷がかかっていると思います。
もうやめたー!と全てを放り出して楽になりたい気持ちと、使命感や責任感で踏ん張る気持ち、その両方を抱えながら、それでも毎日職場に向かうのだと思います。
当たり前に受けていたサービスは、多くの人達のそういう頑張りにより成立しているのだと改めて感じました。
【〇〇してもらって当たり前、この気持ちが相手の心を疲弊させる】
コロナ禍、命がけで働いている医療従事者と並列に語るのは違うかもしれませんが、それでもやはり世の中の全てのサービスや商品は、それに従事する1人1人の頑張りや責任感で成立しているのだと思います。そしてサービスを提供する側と受ける側との相互の尊重を基調にしたシステムの中で成立していると思います。
だからサービスを受ける側が感謝の気持ちが無く「お金を払うのだから、当たり前や当然の権利」だと思う気持ちばかりが強くなると、心を込めて一生懸命にやっている人ほど拭いきれない徒労感が蓄積し、必要最低限の割り切ったサービスの提供で、心の折り合いをつけるようになってしまうのではないでしょうか。
「〇〇してもらって当たり前」、この気持ちが相手の心を疲弊させるのは、家族間、友人間、従業員同士、会社と従業員など全ての人間関係にも共通することだと思います。
当たり前にしてしまっているけど、本当は当たり前ではない。
他者への感謝の気持ちを、いつでも忘れないようにしたいものです。
現在も継続中のコロナ禍の中でも、なんとか日本社会全体の機能が維持できているのは、様々な人々が様々な持ち場で自分の役割を担っているからであって、全ての人々の「支え合い」で社会は形成されているのだと、改めて心に留め置きたいと思います。
2020年
11月
25日
水
変化し始めた雇用
雇用の仕方や働き方が変化し始めているようです。
KDDIや日立製造所、資生堂や富士通やカゴメなどの企業が、従来の「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」へと移行し始めているようです。
近頃、新聞などでも頻繁に「ジョブ型雇用」という言葉を目にするようになりました。日本の7割越の企業がジョブ型雇用の導入を検討しているようです。
勉強中なので正確ではない箇所もあるかもしれませんが、簡単に整理してみます。
【ジョブ型雇用】
社員それぞれが専門スキルを活かしながら働く。
仕事内容や成果責任の範囲を詳細に記載したジョブディスクリプション(職務記述書)を作成し、その職務条件を満たせるスキルのある人材を雇用し報酬(給料)を支払う。
「その人」に報酬を払うというよりは、「その職」に報酬を支払うイメージに近い。
労働時間は本人の裁量で決定。どれだけ働いたかという時間的な評価ではなく成果(結果)で評価する。「職」に対して「市場価値に見合った報酬」が支払われる。
成果によっては降格や解雇もありえる。企業の事業変更等で、その職の消滅により解雇もありえる。
「会社に入社」ではなく「職に就職」というイメージに近い。そのため転職がしやすく、意欲が高い人は努力次第で(その職に対する市場の需給バランスにもよるが)キャリアアップを狙いやすい。
人材の流動性が高まるため、企業側は定着率を図る努力が必要。
企業側、従業員側、互いに割り切ったドライな関係のイメージ。
欧米もアジアも、日本以外はずっと以前からジョブ型雇用。
【メンバーシップ型雇用】
従来の日本の雇用方法。日本型雇用とも言う日本独自の雇用方法。
こちらに関しては説明する必要は特に無いかと思いますが、基本的に終身雇用、年功序列。
「その職」に給与を支払うというよりは、「その人」を評価して給与を支払うイメージ。
そのため結果が出なくても、プロセスや頑張りを評価されることもある。
モチベーションや生産性が低下したミドルやシニア社員にも過去の功績や年齢を考慮した給与が支払われている場合がある。
長期的な視点での人材育成が出来る。
良い意味でも悪い意味でも、企業側と従業員の結びつきが強い。
私はこれまで、欧米の働き方を耳にする度に、とても不思議な気持ちになっていました。
彼らは個人主義で、休暇も長く取って、「それは私の仕事ではありません」と平気で言う。
でもそれは雇用の形態が日本とは全然違うからなのですね。
成果責任をしっかり果たせば早く帰ろうと休もうと問題なく、社員各々の業務の切り分けがしっかりとしており、書面で細かく自分の責任範囲が記載されている。しかし、それを達成できないと解雇も普通にある。
ジョブ型雇用というものを知って、ようやく欧米の働き方に納得できた気がします。
今後の日本の雇用形態はジョブ型雇用が拡大して行くことは間違いないと思います。
ただ完全にジョブ型になるかというとそうではなく、日本型雇用とのハイブリッド式になるだろうと思います。
特に当社のような中小企業の場合、専門スキルを活かしてその業務だけをしていれば良いというのは難しく、昨日は工場で出荷作業を手伝っていたかと思えば、今日はスーツを着て営業、明後日は会社の壁を従業員皆で塗り替えるぞ、来週は他の事業部の人手が足りないからヘルプに行ってくれ!なんて事も当たり前にあり、なんでも出来る総合職、ゼネラリストの方が有り難い場合が多いです。
ただ、ジョブディスクリプション(職務記述書)は無いので責任範囲が漠然としているような雑務は、従業員それぞれの意志に任せています。
そのため、その雑務に気づけない者も居れば、気づける者も居る、気づいて知らぬふりをする者も居れば、率先してやろうとする者も居るだろうと思います。
人が嫌がる雑務を自ら進んでする人は「気付ける力」「実行力」「会社や他の人達のために尽くそうという精神」があり、そういう人も高く評価したいと思ってしまう自分に、「ほんと日本型脳みそ」と笑いそうになります。
最近ますます社会の変化のスピードが速いと感じます。
いま当たり前だと思っていることも、数か月後には当たり前では無くなったりします。
時代の真っただ中にいる時は分からなくても、過去を振り返ってみると、「あぁ、あの時は良かったなぁ」と思うことも多いです。
日本型雇用についても、沢山不満があっても無くなってしまってから、あぁあの時は良かったなぁと人々は思うかもしれません。
経営者の私も、「昔は始業前にもかかわらず、会社の敷地内でゴミを見つけると人知れず拾っている従業員の姿があった。昔は良かったなぁ。今はドライな社員ばかりや・・・」なんて思う未来が来るのでしょうか??
↑(ゴミ拾いの件は、「真面目に仕事に取り組む人材を評価します>>」に詳しく記載)
2020年
10月
27日
火
「出会い」が人生に及ぼす影響の大きさ
子供時代、いつも暗闇を歩いているような気持ちでした。
入退院を繰り返していた母と、仕事で忙しく殆んど家にいない父との家庭だった為、私の中には不安や悲しさが常に住み着いていました。
そのうえ学問もスポーツも大して出来ず、しかし身長だけはヒョロリと高かったため、『うどの大木』とアダ名を付けられコンプレックスの塊でした。
まず小学校に入学した当時から(現在に至るまで!?)極端に字が下手で、ノートを取っても後から見直すと自分自身でさえ何を書いていたのか判別できなかったり、「字も態度も落ち着きがない」と先生からよく注意を受けたりしました。
次に小学3年生の時に友人から誘われて少年野球を始めたのですが、みんなが徐々に上達していくなか私は野球に全く馴染めず、何を教わっても全く上手くならず苦痛さえ感じて半年でやめてしまいました。
野球に限らず卓球やバトミントン、楽器の演奏、やることなすこと不器用さが原因で、何をしても人並み以下のありさまでした。
小学校4年生の中頃になり、一つ上の友人から誘われて少林寺拳法を習うようになりました。少林寺拳法も特段には上達しませんでしたが、これに関しては人並みに成すことができたので、中学2年生の春まで約4年続けました。
その間にも小遣い稼ぎのお手伝いをさせていただいていたお店のご主人さんが元プロボクサーだったということもありボクシングの手ほどきも受けましたが、当時の中学生は試合がなかったので、自分の実力もよく分からないままでした。
得意だと思える事も夢中になれる事も無く、学校も行ったり行かなかったりで、空虚な気持ちを抱きながら町をうろついていた粗野な少年時代でした。
そんな時に出会ったのが、泉南市柔道協会の金村秋男先生でした。
先生は町をうろつく私を見つける度に、「おい!柔道習ってみないか?」と辛抱強く声をかけ続けてくれた人でした。
それは小学6年生のころから始まり、中学2年生でとうとう私が根負けして「1回だけなら道場行く」と言った日まで約3年にわたりました。
※「人生のターニングポイント>>」で詳しく記載
その後、私は先生の作戦にきっちりハマって柔道を続けることになるのですが、やはり「うどの大木」は変わらずで、掃除・受け身・体捌き(技)と順に教わるのですが、何度教わっても足や手の運びや体の重心移動やらが変にぎこちなく、バランスを崩して満足にできませんでした。
しかしある日、ブレイクスルーが起きるのです。
うどの大木少年の突破口を見つけたのは金村先生でした。
私の様子をジッと見ていた先生は、「立花、お前の本当の利き手は、もしかしたら左手ちゃうか?」と言うのです。
しかし私は右手で食事をするし、右手で字を書きます。
「じゃぁお前、お尻はどっちの手で拭く?」
「左手です」
「わかった!お前は本当は左利きやで!今日から左利きの柔道をやれ!」
その日まで私自身も両親もすっかり記憶から消えていたのですが、幼い時に私は左手でフォークやらペンやらを持っていて、それを矯正した過去があったのです。
「左利きの柔道」をするようになってから、乾いた砂が水を吸うように技を習得していき、あれよあれよという間に昇段していきました。
暗闇だった胸に、光が射し込み始めていました。
私は柔道に夢中になり心血を注ぎました。
大阪府中学生大会で決勝まで進み2位になり、近畿大会にも出場することになりました。
その喜びは例えようもありませんでした。
その後スカウトで、当時の柔道日本一の名門であった天理高校柔道部へ進み、3年生の春と夏の2回、団体戦で全国優勝を経験することが出来ました。
そしてこの柔道部で、その後40年以上にわたり現在進行形で強く憧れを抱き続け師事させていただいている左右田鑑穂社長と、OBと高校生という形で出会うことが出来たのでした。
人生には何度かターニングポイントというものがあります。
左右田社長との出会いは人生で最大のターニングポイントでしたが、人生最初のターニングポイントは、金村先生が諦めず私に声を掛け続けて柔道に導いてくれたこと、そして本当は「左利き」だということを見抜いてくれたことでした。
大人の導きがなければ、少年だった私はうどの大木のまま、人生を歩んでいただろうと思うとゾっとすると同時に、「出会い」が人生に及ぼす影響の大きさに驚かされます。
とくに、あらゆる可能性を持っている小中高の学生時代には「出会い」がその後の人生に大きく影響します。
人との出会い、得意な科目やスポーツ、得意な事との出会い、趣味との出会い、本との出会い、違う価値観との出会い・・・etc
大人のアシストがあれば、子供たちがそういう出会いをし易くなるかと思います。
そしてそういうものとの出会いが、人生を照らす明かりになると思います。
何ひとつお返しが出来ていませんが、頂いた恩を若い世代に恩送りしたいと思い、現在計画していることがあります。
正式に決まりましたら、またここでご報告させていただきたいと思います。
2020年
9月
22日
火
菅政権下の経営環境について整理する
【菅さんの実績】
菅政権が誕生しました。
官房長官時代の会見の様子から実直で控え目なイメージを、勝手ながら持っていたのですが、詳しく知れば数々の実績を上げて来られた剛腕なお方でした。
数例を上げると、
・外国人観光客を増やすため、法務省と警察庁を説得してビザ緩和
・財務省に免税品の対象を拡大させた
・ふるさと納税を発案
・これまで洪水対策の事前放流が行えるのは国土交通省の治水ダムだけだったが、経済産業省の電力ダムや農水省の農業用ダムも事前放流できるようにした etc・・・
【一度決めたことは反対されてもやり抜く人物】
菅さんが、ふるさと納税を提案した時、どこに行っても「そんなことは不可能だ」と相手にされなかったそうです。
「とにかく出来ない理屈を並べるんです。色々言えば私が諦めるんじゃないかと思って色々な理屈を並べるんです」とインタビュアーに話されていました。
そうしてようやく始まったふるさと納税は、なぜか使いづらいように設計されていたそうです。その為、当初は利用する人が少なかったのですが、その後も菅さんの肝いりで改革され、ふるさと納税の現在の浸透ぶりは皆さんの知るところです。
【地銀の再編】
菅さんは地銀の再編にも言及しています。
超低金利が長期化していますし、特に地方の人口は減少して行っています。2025年までに日本企業の3分の1に当たる127万社が後継者不足などで廃業すると言われています。数少ない成功している企業は東京に出て行きます。(リモートワークで一極集中は変わる?!)。そうして企業数が減ると貸出先が減ります。
地銀の再編が進んで1県1行単独になっても不採算になると予想されている県が沢山あります。
銀行の数が減るのは企業にとってはデメリットです。
地方銀行同士が合併し、市場占有率が高まっても独占禁止法の適用除外とする特例法もすでに成立しています。
【中小企業の再編】
地銀の再編にともない、切り捨てられる中小企業も出て来るでしょう。菅さんは中小企業の再編を促進すると表明しています。
日本のGDPは世界第3位なのに、労働生産性(従業員1人当たり、または1時間当たりに生み出す成果)は先進国の中で最下位。イタリア、スペイン、ギリシャよりも下です。
ITやAIの導入やオートメーション化、働き方改革の推進などで、政府は中小企業の労働生産性向上を図っていますが、経済産業省が中小企業に向けてM&Aのハンドブック>>
(日付を見ると本年の9月4日に発行)を出すぐらいですから、M&Aを中小企業にも浸透させて「規模の経済」で日本の労働生産性の向上を図るのでしょう。
日本は輸出大国のようなイメージがありますが、実際の輸出状況は対GDP比率で、わずか16%ほどです。当社も原料を輸入することはありますが、輸出することは稀にしかありません。中小企業にとって輸出入とくに輸出はハードルが高いのです。
去年1年間で日本の人口は50万人自然減しました。2050年には日本の人口は25%減少すると総務省が予測しています。
国内需要は年々減少して行くので、M&Aで企業の規模を拡大し、海外輸出を増やし、労働生産性を上げるのが中小企業の生き残り戦略だと唱える声も多いです。
とにかく「労働生産性」という言葉を毎日のように新聞などで目にします。
当社は製造事業で重度障がい者を多数雇用しており、柔軟性を重視して機械化が遅れており>>、介護事業も営んでいます。そんな当社にとって労働生産性という言葉は耳が痛いです。
しかし、そこには労働生産性の数値に反映されない価値や効果も数々あるのです。
とはいえ、世の中の大きな流れを把握していなければ時代に置いていかれます。
そのためにも当ブログで、菅政権下の経営環境について整理してみました。
2020年
8月
30日
日
雇用について考える
雇用調整助成金の延長
当初は9月末までとしてきた雇用調整助成金の特例措置でしたが、政府は今月25日、現行の助成率や上限額のまま12月末まで延長する方針を固めましたね。
日本の失業率は3%ほどで、10%を超えるアメリカに比べると低く感じますが、休業者は400万人を超えています。雇用調整助成金が当初の予定通りに9月末で切られていたら、その400万人を超える休業者はそのまま失業者となり、失業率は戦後最悪の水準6%台に乗る可能性があるそうです。
そこまでの失業率になると深刻な社会不和が生じますから、延長の方針が決まりひとまず安堵しました。しかし12月末以降はどうなるのでしょうか?
追加の特例措置延長にならなければ失業者が急増しますが、政府の財源はいつまでもつでしょうか。
機械化による雇用の減少
先日コンビニエンスストアのレジで、前の高齢者の会計が終わるのを待っていると、レジのスタッフに「お支払が電子マネーなら、向こうのセルフレジでお願いします」と言われました。
セルフレジを使うのは初めてだったので少し心配になりましたが、初めての人でも問題なく使用できる分かりやすいシステムで、これは益々広がって行くだろうなという感想を持ちました。
また、こんな話を聞きました。
「ユニクロの店員さん、あれだけ沢山いたのに、先日行ったら一人だけになっていて、レジはカゴを置くだけで会計してくれる自動レジになっていた」という話でした。
完全雇用の限界→ベーシックインカム
ドイツでベーシックインカムの社会実験が始まるそうです。(現在のところ120名での実験で、1カ月約15万円を3年間給付)。
ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して、最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件に定期的に支給するという政策です。
これは生活保護や年金、失業保険などの社会保障が複雑になり過ぎたため、それらをまとめ簡素化するのが目的だそうです。
フィンランドも試験導入を行い、スイスも導入の国民投票を過去に行っています(否決)。
世界がベーシックインカムに注目しているもう一つの理由は、機械化やAI化により、就業を希望するすべての人が雇用される「完全雇用」を維持するのが難しくなって行くからだそうです。
必要なのは機械よりも人
ほんの少し前まで日本では人手不足が叫ばれていたのに、今は失業率の増加が懸念されています。
とはいえ生産年齢人口が減少し続けている日本ですから、コロナ禍が落ち着き景気が上向けばまた中小企業は採用難に苦しむでしょう。
当社のテキスタイルの工場でも、従業員を新規採用する代わりに機械の導入を検討していました。多い時には1日に3000枚の毛布を畳む必要があるので、それをオートメーション化しようと考えたのです。
しかし誰も想像出来なかったコロナ禍が発生しました。
当社は多角経営なので、コロナの影響を受けてホテルや旅館向けの毛布の需要が減っても、九州豪雨によって河川工事用の土木資材の需要が増えるなど、凸凹があります。
当たり前ですが、毛布を畳む機械は毛布しか畳めません。それが人ならばフェルト事業部の仕事もフレスコ事業部の仕事も、それ以外の仕事だって教えれば出来ます。
先が読めないような不確実性の時代には、時代に合わせて企業も事業内容の変化や経営資源の配分を変化させて行かなければなりません。
想像も出来なかった出来事へ対応する柔軟性を持たなければ生き残れません。
不確実性の時代には、「生産性」よりも「柔軟性」が大事。
だとしたら、中小企業である当社に必要なのは、やはり機械よりも人だなと思ったコロナ禍なのでした。
2020年
7月
21日
火
内閣府からのメール
「日本国政府 内閣府地方創生推進事務局の〇〇と申します。
貴社ホームページのSDGsへの取組を拝見させていただきまして、突然のお願いのご連絡で失礼いたします。」
当社のお問い合わせフォームに、このような書き出しから始まるメールが届いて、詐欺メールかウイルスが仕込まれているメールなのかと訝しみました。
メールを読み進めると、
SDGsへの取組を促進し、地方創生につなげていきたい。会員と政府がSDGsを活用し、共通のテーマのもと活動を行い、国や地方公共団体等が抱える課題に対し協働で考え、取り組んでいくことを目的に、官民連携のプラットフォームを内閣府が設置したので、それに参画しないか?というような内容でした。
メールに記載されていたURLをクリックしてHPを拝見すると>>、これはどうやら本物のメールのようで、なぜうちのような田舎の中小企業に内閣府がお声掛けしてくださったのだろう?と不思議に思うのと同時に、どなたかを介しての紹介などではなく、内閣府からでも普通にこんな風に、ある日突然お声を掛けていただけるのだなぁという素朴な驚きも感じました。
そして何より私の心を占めた感情は「喜び」です。嬉しかった。たとえ田舎からでも発信し続けていれば、思いがけない所にまで届くのだなぁと。
全ての始まりは、2019年、新年一発目に書いたブログ「ESG課題へ取り組んで参ります>>」の記事に書いたように、私が遅ればせながらESGの存在を知った事がきっかけでした。
当社の経営理念である「三方良し」の精神で、すでに行っていた多くの取り組みがESGに該当する事を知ったのです。
もちろん中小企業ですから、プロジェクトチームを立ち上げるような余裕もありませんでしたが、1からスタートさせるのではなく、ほとんどが既にコツコツと始めている取り組みですから、なにも問題はありませんでした。
ESGについて調べて行くうちにSDGsについて知りましたが、「国連サミットで採択された2030年までに達成する目標」ということで、なんだか中小企業には遠くて大きすぎる話に感じ、大企業向けの取り組みだと思いました。
新聞や街のポスターなどでSDGsの文字を見つける度に存在が気になりつつも、目標の一つ目の「貧困をなくそう」の課題の大きさを見て、中小企業でSDGsに参加する方が、身の程知らずで、おこがましいな・・・という想いになっていました。
大きく難しく考え過ぎていたのかもしれません。
それがコンサルタントの先生から「社長のとこ、これだけESGの取り組みをしっかりやっているんだから、SDGsもやった方がいい」とアドバイスを貰い、それに背中を押されました。
調べて行くとESGで取り組んでいたことが、そのままSDGsの目標に繋げることが出来ました。
ESGもSDGsも何も知らなかった時から「三方良し」の企業理念で行っていたことが、国連の目標にリンクするのだから不思議な感じもしますが、「自分たちの利益だけではなく、全ての人の利益の追求」というのは、いつの時代も、どの国でも、企業活動の根幹として共通しているものなのでしょう。
また、SDGsについて勉強して行くと、「これは大企業向けの取り組みだ」と思い込んでいた自分の考えが間違っていたことに気づきました。
より多くの企業や家庭や個人が参加して、それぞれの立場で、少しずつでも良いから、継続して取り組んで行くことが大切なのだと分かりました。
新商品や新企画を考える時、SDGsという世界的な共通ルールがあると、これから世界が進んで行く大きな流れというか方向性が見えるので、かえってやりやすいと感じます。
少なくとも、コストを下げるために持続可能な社会を放棄する企業が歓迎されることはないだろうという事は分かります。
しかしSDGsが形骸化しない為にも、「今年度は利益が出たから、その分、社会課題解決のために社会貢献したり還元したりしよう」という取り組み方より(それも勿論大切ですが)、
ビジネスとして社会課題を解決し、社会の利益と同時に、自社にも利益が得られるような事業を展開して行くことが私の理想です。
ESGもSDGsも知らなかった時に作った当社の経営基本方針の中には、「社会的貢献性の高い事業を行います。」とあり、HPにも記載しています>>。
企業がビジネスとして社会課題を解決し(たとえば地球環境に優しい商品の開発)、それが競争力になり収益に結び付くようになると、それこそサスティナブル(持続可能)で、長期に渡って取り組んで行くことが可能になります。
SDGsの精神がもっと大きな「うねり」となり、隅々にまで浸透して行くよう願っています。
2020年
6月
01日
月
考察:リモートワーク
歴史を振り返れば、パンデミックが急速に社会を変革させ、時にはルネサンスのように新しい文化を創り出して来ました。
思いもしないことでしたが、私達は突如パンデミックを経験するはめになりました。
社会の様々な場所で変化が起こっているのを感じます。
生活様式の変化や業務環境の変化、なかでもリモート会議やリモートワーク等に代表されるデジタル化された業務環境の変化について、苦手分野なだけに、かえって関心を持って、あれやこれやと考察してしまいます。
当社の業種は製造業、サービス業、医療・福祉ですので、リモートワークで対応するのは、なかなか難しいです。しかしオフィスワークが多い企業では必然的にコロナ後もリモートワークが拡大して行くと思います。うまく取り入れればオフィスの規模を縮小したり、郊外に移転したりして家賃を削減することも可能になります。
リモートワークは、いつ何時間働いたのか上司には分かりませんから、結果だけを見る成果主義になるか、もしくは勤怠管理ツールを使って身も蓋もなく管理するようになるかの二通りだと思います。
会議や打ち合わせのデジタル化については、当社は事務所や工場がいくつも微妙に離れた場所にあるのでリモート化が進めば時短になり効率的だなと導入を考え、独断で見積もりを取りましたが、ITリテラシーが高くない我々が、その高い買い物に見合っただけ使いこなせるとは思えず導入を見送りました。
が、私が知らなかっただけで、一部の社員は無料のツールを使ってリモートで打ち合わせをしたり、納品する商品をテレビ電話でお得意様にチェックしていただいたりをすでに行っていたのです。「コロナの前から既にやってます」とのことでした。
コロナ禍で「リモート!リモート!」と新聞やニュースで毎日のように耳にするようになり、また40年以上の付き合いの1つ上の先輩(生涯の縁>>)が急速に進化してリモートで大学の講義をやるようになり、果てはYouTubeで自分のチャンネルまで作るようになったので、取り残された私は焦燥感に駆られ勇み足になっていたようです。
今のところ当社の従業員は無料のツールで事足りているとの事なので、業界の様子を見つつ、遅れを取らないようにと思っていますが、「社長は、そんな細かいことより全体の舵取りをお願いします!」と頼もしいことを言われてしまいました。
しかしながら私のリモート考察は続きます。
今、考えていることは、営業の非接触化が進んだ時に、どのようにしてコミュニケーションを深めれば良いのだろうか?ということです。
普段ならば仕事の話が済んだ後にお茶を啜りながら、または駅までお送りする車の中などで交わす雑談から本音や新しいアイディアの欠片が聞けたり、親睦を深めたりすることが出来ました(飲みニケーション>>)。しかしリモート化で、そういう時間はどんどん減って行くでしょう。
私はアナログな人間なので、初めて名刺交換をさせていただいた後には手書きの手紙を出したり、用件が有っても無くても顔を出したり、時候の挨拶で近況を伺ったりしていました。
若い人は若い人で、「ズーム飲み会」など色々と新しいコミュニケーションの方法を開拓して行くのでしょう。
恥ずかしい話ですが、私はスマホの機能を一切と言っても過言ではないほど、なんだか時間がもったいないような気がするのと邪魔くさくて使わずというか使いこなせずに、アプリをほぼ全部アンインストロールして、それこそガラケー以下の機能に作り替えて使っているほどのアナログ人間です。
しかし図らずもコロナにより急速にデジタル化が進み、「苦手だ」などと呑気なことは言っておれなくなりました。withコロナ時代を生きるために、ただいま苦手なことにも向き合い中です・・・。
2020年
5月
22日
金
人生は不安とイタチごっこ
日本のGDPは2四半期連続のマイナス成長となりました。
そして、「新型コロナウイルスによって、2020年の世界経済は最大で5%のマイナス成長になる可能性がある」との報道も見ました。
当社のような中小企業にも、従業員の募集はしていないか?と問い合わせの電話が頻繁に入るようになり、初めての経験ですが証明写真付きの履歴書をFAXで唐突に送って来られる方も現れました。それだけ切羽詰まってのことでしょう。
コロナの感染者数の減少に伴い、日本の経済は最近になってようやく動き始めたように感じますがこれもコロナ次第で、第二波の規模によっては再び経済活動がストップしかねません。
以前より書いていることですが、私の基本的な性質は不安を強く感じる性質です。(関連記事:労働時間>>・売って反省クレームに感謝>>・不安の哲学>>)
現在のような不確かな経済環境下、コロナ感染リスクのある環境下では、私の不安症は炸裂します。
「心に浮かぶ不安は全て起こりうるであろう」ということを前提に、大騒ぎしながら「あれもしよう!」「これもしよう!」と社員たちを巻き込みながら、心血を注いで事前対策を施すのですが、それでもその施した対策から「これだけで大丈夫なのかなぁ!?」という新たな不安がまた生まれて、また対処しての連続で、「人生は不安とイタチごっこ」というような状態に陥ってしまいます。
仕舞には社員から「社長、そこまでやらなくても良いと思います」と呆れられるほどです。
いつも不安に苛まれながら生きてきたような気がします。
しかし自分でも図太いと思えるのは、周りを巻き込んで散々大騒ぎをした後は、気持ちの切り替えが出来ることです。
不安症であっても後ろ向きにはなりません。「ここまでやったのだからアカン時は、しゃーない!」と自分自身で納得して居直ります。
また脳内で嫌というほど様々な悪いシミュレーションを繰り返している分、いざ実際にその悪い事態になった時、思いのほか凪いだ心の、冷静な自分がいます。
それどころか自分が想定していた最悪な状況よりも軽度で済んだ場合には、負の感情など吹き飛び、感謝の気持ちで手を合わせてしまいます。
先般こんな事がありました。
導入3か月目の最新装備を整えた配送用の新型トラックを従業員が自損事故を起こして、車体を破損して帰社しました。
すぐに私のところに報告に来ましたが、私の発した言葉は「人に迷惑かけてないか?」「ケガしてないか?」「明日、修理に出しとけ!気をつけてな!」の四言のみです。
ここでまず思うのは、他人様に迷惑を掛けずに済んだこと、従業員にケガが無かったこと、今後は従業員も非を悟り気を付けて運転するであろうこと、そして車両の破損ぐらいだったらすぐに修理したり、たとえ買い替えなくてはならない事態に陥ってもすぐに買い替えできる当社の今の経営状態に対する「有り難さ」と「感謝」で、社員が帰り一人になった時、思わず神棚に手を合わせました。
事前にどれだけ対策をしていても、思いがけず悪い事が起こる事はあります。
そんな時は後ろ向きにならず前向きに考えて「何かのお知らせ」だと思い、「従業員や会社や自分自身が成長するための機会」として受け止めることによって、行く道は次の未来に繋がっていくように思います。
経営者にとっては厳しい環境が続くでしょうが、頑張っていきましょう!
2020年
4月
23日
木
こんな時だからこそ感謝を
4月16日に緊急事態宣言が全国に出されました。
近隣にある関西空港では、国際線の発着が0件の日もついに出始め、心なしか町全体が静まりかえっているような雰囲気です。
しかし当社が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームでは、昨年の11月に(当時の様子を見る>>)スタッフと入居者様とが一緒に植えたパンジーやマーガレットが満開を迎え、当サ高住の開設記念植樹として植えさせていただいた花水木と花梨がつぼみの膨らみを増してきました。
月並みなお話ですが、豊かな自然環境に恵まれた日本では、年間を通して季節の移り変わりを味わうことができます。
厳しい冬を乗り越えた先には必ず花の咲き誇る季節が訪れます。
人類はその歴史においても、天変地異を「畏敬と畏怖の念」で受け止め、経験と英知を結集して何度も乗り越えてきました。
必ず今回の世界的な新型コロナ感染症の広がりも、人類の英知で乗り越えて行くと信じます。
今私達に出来ることは、それぞれの立場で最善を尽くすことです。
その内容は、不要不急の外出を自粛することや、感染拡大を防止する取り組みなどを行うことでしょう。
私も日々、従業員と一緒に、感染拡大に対する取り組みをアップデートさせて行っています。(新型コロナウイルスの感染拡大に対する当社の取り組みについて>>)
さて今の私たちの社会生活は、それぞれの職種や立場で自分の役割を果たし、物やサービスや金銭をお互いに提供し合い報酬を得るという「取り引き」の社会のように思われがちで、実際にそうなっているのも事実ですし、そうおっしゃられる方も周りにおられます。私も経営者ですので、それを否定しません。
しかし、見方を変えると、物やサービスや金銭を提供し合うということは、たとえ報酬が絡んでもお互いの「支え合い」であり「助け合い」であると思います。
そこには「ありがとうございます」という「感謝の心」が必要であり、社会という「つながり」の中でお互いの行為や役割を、好意をもって受け止め、尊重し合うことが大事なのではないのかなと最近特に感じます。
どんな事でも、自分一人で「つながり」とは一切関係なく、何もかも自分一人でやり遂げたという事はほとんど存在しないと思います。そう考えると謙虚になれますし感謝を忘れずにいれると思います。
京都大学IPS細胞研究所所長のノーベル賞 山中伸弥教授を始めとするさまざま学者の方々や専門家の方々の情報発信にもあるように、今回の新型コロナ感染症との戦いは、人類が必ず乗り越えて行くと信じますが「先の長い戦い」になると思います。
新型コロナのせいで、人々の暮らしは突然大きく変わりました。
あれも出来ない、これも出来ないなど、不平不満が募ると思います。
しかし、こんな時だからこそプラスの面に目を向けて、どんな事も当たり前と思わず、感謝の気持ちを持ちながら、身近な人々と協力し合いたいと思います。
身近な「つながり」も幾度も重ねていけば、その先の「つながり」に続き、そして日本から世界に繋がっています。
世界が協力して、新型コロナ感染症と闘わなければならないと思う次第であります。
2020年
3月
12日
木
新型コロナウイルス
新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっています。
2009年に新型インフルエンザが流行した時は、まだ当社にシニア事業部は無く、若い従業員が多い事もあって、まだどこか他所事のような感じがありました。
しかしサービス付き高齢者向け住宅や介護事業を運営している今は、コロナ対策は鼻先に突きつけられた大きな問題です。
武漢の様子が報じられた1月中旬からは、コロナ対策に神経を尖らせている毎日です。
当社サ高住での感染症防止に対する取り組みは、従業員がスタッフブログ>>の中で紹介しているので、ここでは省きます。
現在、イベントの自粛や選抜高校野球の中止、全国の学校に対する一斉休校が政府から要請されたり、スーパーやドラッグストアでは一部商品が品切れになったり行列が出来たり、まるで「人類VSウイルス」の戦時下のような印象です。
戦時下で一番大切なのは、「情報収集」と「スピード」だと私は思っています。
しかし自分1人での情報収集には限界がありますので、「どんな小さな情報でも良いし、真実かデマか分からない情報でも良いから、気になる情報があったら、どんなことでも良いから知らせてほしい」と周りの人達にお願いしていました。すると、
「まだテレビとかで報道されていないから真偽は分からいけど、マスクの買い占めが起きていると、SNSで外国人が書いていました」だとか、「なぜか香港でトイレットペーパーが品切れしているらしいです。でもまだ本当かどうか分からないですが」などの情報が入るようになりました。
介護事業にはマスクもアルコールもトイレットペーパーも欠かす事の出来ないものです。海外で起こる事はいずれ日本でも起こるだろうと考え、早い段階で対策することが出来ました。
情報収集に関しては、他の施設での感染防止対策の情報も収集し、厚生労働省のマニュアルだけではなく、良いと思う事は全て取り込んで実施しています。
今回の一斉休校措置ですが、当社でも小さなお子さんを持つ従業員が数名いるので、急遽、夏休みの時と同じようにシフトを変更するなど、各事業部がそれぞれ対応しました。
世間からは批判の声も多い一斉休校措置で、「もっと根回ししてから」「もっとデーターを精査してから」「もっと専門家の意見を聞いてから」などのコメントをTVやラジオで耳にしました。
国の施策と企業経営を一緒にして語るのはおこがましいですが、
緊急事態に必要なのは「スピード」です。そして正体が分からない相手と戦う時には「最悪を想定」して、大袈裟なぐらいの対策を打って、相手の事が次第に分かって来たら、どれほどの規模でどう戦えば良いのかが見えてくるので、不要な部分は削って行けば良いと思うのです。
私の経験上、スタート前に机の上でいくら完璧な計画を立てても、その通りに事が進んで行った事業なんてありません。まさに走りながら考えるの状態で「たえず見直し」をしながら臨機応変に事態に対応しなければ、正体の分からない相手になんて勝てないと思います。
そして、「臨機応変か、朝令暮改か>>」の回でも同じ事を書いていますが、
目的を達成するための方法を3つ考えついて実行し、3つとも成果が出たなんて事は、そうそう無いものです。
「目的達成に良いと思うことは全部やってみよう!10のアイディアを実行したとして、そのうちの3つでも成果が出れば良い!」これだと思います。
いきなり小さ~な話になりますが、コロナ対策で、従業員の皆に付けてもらおうと首からぶら下げるウイルス除去のアイテムを人数分購入しました。
しかし身内から「あっ、それ賛否両論あるやつ。本当に効くの?」と突っ込まれてしまいました。
100か0で考えるのではなく、ほんの数パーセントでも効果があるなら、やった方が良いと思うことはやってみようや!と私は思います。
数パーセントの効果しかない策でも、それを10も20も色んな対策をしていけば、効果は上がります。
やれることは何でもやろう!と言い実行しています。
それでも頭の片隅では「最悪も想定」して、いざという時に手に入らず困る事が無いように防護服の備えも既にしています。
少しでも早く事態が収束されることを願って止みません。
2020年
2月
12日
水
昭和時代、ポンタの悲しい話
子供時代に飼っていたポンタという名の犬が、先日夢に出て来ました。
今日はポンタとの悲しい話を書いてみようと思います。
昭和40年代の初め、私が小学校2年生の時、ポンタは我が家にやって来ました。
よちよち歩きのポンタと一緒に蛍を見た記憶があるので、春の終わり頃にやって来たのだと思います。
父は当時、昼夜交代のある会社に勤務しており、母は入院生活の繰り返しで不在がちだったため、一人では寂しいであろうという思いから、父の姉が私に贈ってくれた秋田犬の雄がポンタでした。
数か月たった初冬のある日の朝、ポンタとの予期せぬ別れは突然に訪れました。
実はポンタとの別れは、私の不注意のせいで起こりました。
ほんの些細な不注意が最悪の結果に繋がってしまい、悔やんでも悔やみきれません。
朝、学校に行く支度をしていた時に突然、犬の悲鳴のような鳴き声が聞こえました。
嫌な予感がしてポンタの名を呼びながら家中を探しましたが、姿が見えません。
ふと玄関の扉に目をやると、隙間が空いています。私がちゃんと戸締りをしなかったせいでポンタは外に出てしまったのでした。
慌てて玄関から飛び出すと、何十メートルか先に、走り去って行こうとする犬捕りのトラックの荷台が見えました。
荷台に積まれた大きな檻の中で、他の犬たちと捕らえられているポンタの姿を発見しました。
「ポンタ!ポンタ!」と叫びながら追いかけると、ポンタは私に気づいたらしく、こちらを見つめて「ウー」と震えながら唸りました。ポンタはお互いが見えなくなるまでずっと、こちらを見ながら唸っていました。
私はまだ子供だったせいもあり、ただただ泣き叫びながら見送るだけしか為す術がなかったのです。
その日は無断で学校には行かずじまいで、ポンタが居なくなったショックから一日中布団にくるまって、ポンタの最後のあの唸り声はなんて私に言っていたのだろうか?と思いながら泣いていました。
ポンタが居なくなった日の夜、仕事から帰った父にこっぴどく叱られました。
「戦争中にはもっと悲しいことがいっぱいあった!これぐらいのことで男は泣くな!」と私を叱りました。
そう言いながらも父は、勤めていた会社の社長と一緒に保健所に返還交渉をしに行ってくれましたが、ポンタの首の骨が折れていて叶いませんでした。
後日ポンタの件を知った母方の祖母からも「男の子が泣くな!」と叱られました。
けれども祖母は私を慰めるために、母を病院まで呼びに行ってくれました。
2020年
1月
04日
土
ありのままの自分でいいの?
2020年 新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜りありがとうございました。
本年も、より一層尽力をしてまいりますので相変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
昨年の晩秋、ある番組を観ました。内容はあるスポーツで日本一になり、マスコミにも取り上げられ有名になった男性の人生を振り返る番組でした。
優勝して以来どこへ行っても「日本一」という看板やイメージが付いて回り、他人から過度の期待やプレッシャーを掛けられ、自分自身のプライドも邪魔して苦しい人生を送ってきたという物語でした。しかし、40歳頃に「日本一」という看板を捨て婿養子に入り、仕事を変えて再就職してからは、人生を楽しく感じるようになり、「ありのままの自分」を受け入れる事が出来るようになったという風な話でした。
最近「ありのままの自分で良い」と耳にすることが増えた気がします。
「ありのままの姿見せるのよ~。ありのままの自分になるの~」という歌詞の曲も大ヒットしました。
さてここからは私の思いですが、私は未だに「ありのままの自分」を受け入れることが全く出来ません。
子供時代から現在に至るまでその時々で常に誰かに憧れ、その憧れの人物に少しでも近づけるように工夫なり努力なりする。それが私の人生のモチベーションになっていると思います。
例えば子供の頃の憧れの人は仮面ライダーでした。少年時代は映画の中の人物。
そして17歳で左右田鑑穂社長(現:東建コーポレーション株式会社 代表取締役社長兼会長)にお会いし強烈に憧れました。
生き方、言動や所作、乗られている車や洋服に至るまで全てが「カッコイイ!」と思い憧れました。そして自分もそのように生きてみたいと思うのと同時に、出来ることから真似してみようと思いました。
次第にもっと近くで左右田社長の生き方や考え方、経営を学びたいと思い、弟子にしてください!とお願いしました。
社長の一挙一動が全て勉強になり、憧憬は高まる一方となりました。
17歳から現在に至るまで41年間ずっと、「ありのままの自分」から左右田社長に1歩でも近づけるように、真似をしながら生きて来たと言っても過言ではないように思います。
現在も経営について悩んだ時には、「こんな時、社長ならばどうされるだろう?」と考えます。私はその度に問題に気付かされたり、新たな発見や課題を得たり、確信を得たりすることが出来ました。
私が自分の未来を描く時、いつも社長の背中を想像していました。そのようにして人生の道を拓いて来たと感じます。
「成長したいけれどモチベーションが沸かない。自分を突き動かすものがない」そういう若い人の声も聞きます。
そんな時は、カッコイイと感じる人の事をもっと知って、真似をする事から始めてみてはいかがでしょうか。
それはきっと、今の自分よりも1歩伸びる手がかりになるはずです。
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