子供時代、いつも暗闇を歩いているような気持ちでした。
入退院を繰り返していた母と、仕事で忙しく殆んど家にいない父との家庭だった為、私の中には不安や悲しさが常に住み着いていました。
そのうえ学問もスポーツも大して出来ず、しかし身長だけはヒョロリと高かったため、『うどの大木』とアダ名を付けられコンプレックスの塊でした。
まず小学校に入学した当時から(現在に至るまで!?)極端に字が下手で、ノートを取っても後から見直すと自分自身でさえ何を書いていたのか判別できなかったり、「字も態度も落ち着きがない」と先生からよく注意を受けたりしました。
次に小学3年生の時に友人から誘われて少年野球を始めたのですが、みんなが徐々に上達していくなか私は野球に全く馴染めず、何を教わっても全く上手くならず苦痛さえ感じて半年でやめてしまいました。
野球に限らず卓球やバトミントン、楽器の演奏、やることなすこと不器用さが原因で、何をしても人並み以下のありさまでした。
小学校4年生の中頃になり、一つ上の友人から誘われて少林寺拳法を習うようになりました。少林寺拳法も特段には上達しませんでしたが、これに関しては人並みに成すことができたので、中学2年生の春まで約4年続けました。
その間にも小遣い稼ぎのお手伝いをさせていただいていたお店のご主人さんが元プロボクサーだったということもありボクシングの手ほどきも受けましたが、当時の中学生は試合がなかったので、自分の実力もよく分からないままでした。
得意だと思える事も夢中になれる事も無く、学校も行ったり行かなかったりで、空虚な気持ちを抱きながら町をうろついていた粗野な少年時代でした。
そんな時に出会ったのが、泉南市柔道協会の金村秋男先生でした。
先生は町をうろつく私を見つける度に、「おい!柔道習ってみないか?」と辛抱強く声をかけ続けてくれた人でした。
それは小学6年生のころから始まり、中学2年生でとうとう私が根負けして「1回だけなら道場行く」と言った日まで約3年にわたりました。
※「人生のターニングポイント>>」で詳しく記載
その後、私は先生の作戦にきっちりハマって柔道を続けることになるのですが、やはり「うどの大木」は変わらずで、掃除・受け身・体捌き(技)と順に教わるのですが、何度教わっても足や手の運びや体の重心移動やらが変にぎこちなく、バランスを崩して満足にできませんでした。
しかしある日、ブレイクスルーが起きるのです。
うどの大木少年の突破口を見つけたのは金村先生でした。
私の様子をジッと見ていた先生は、「立花、お前の本当の利き手は、もしかしたら左手ちゃうか?」と言うのです。
しかし私は右手で食事をするし、右手で字を書きます。
「じゃぁお前、お尻はどっちの手で拭く?」
「左手です」
「わかった!お前は本当は左利きやで!今日から左利きの柔道をやれ!」
その日まで私自身も両親もすっかり記憶から消えていたのですが、幼い時に私は左手でフォークやらペンやらを持っていて、それを矯正した過去があったのです。
「左利きの柔道」をするようになってから、乾いた砂が水を吸うように技を習得していき、あれよあれよという間に昇段していきました。
暗闇だった胸に、光が射し込み始めていました。
私は柔道に夢中になり心血を注ぎました。
大阪府中学生大会で決勝まで進み2位になり、近畿大会にも出場することになりました。
その喜びは例えようもありませんでした。
その後スカウトで、当時の柔道日本一の名門であった天理高校柔道部へ進み、3年生の春と夏の2回、団体戦で全国優勝を経験することが出来ました。
そしてこの柔道部で、その後40年以上にわたり現在進行形で強く憧れを抱き続け師事させていただいている左右田鑑穂社長と、OBと高校生という形で出会うことが出来たのでした。
人生には何度かターニングポイントというものがあります。
左右田社長との出会いは人生で最大のターニングポイントでしたが、人生最初のターニングポイントは、金村先生が諦めず私に声を掛け続けて柔道に導いてくれたこと、そして本当は「左利き」だということを見抜いてくれたことでした。
大人の導きがなければ、少年だった私はうどの大木のまま、人生を歩んでいただろうと思うとゾっとすると同時に、「出会い」が人生に及ぼす影響の大きさに驚かされます。
とくに、あらゆる可能性を持っている小中高の学生時代には「出会い」がその後の人生に大きく影響します。
人との出会い、得意な科目やスポーツ、得意な事との出会い、趣味との出会い、本との出会い、違う価値観との出会い・・・etc
大人のアシストがあれば、子供たちがそういう出会いをし易くなるかと思います。
そしてそういうものとの出会いが、人生を照らす明かりになると思います。
何ひとつお返しが出来ていませんが、頂いた恩を若い世代に恩送りしたいと思い、現在計画していることがあります。
正式に決まりましたら、またここでご報告させていただきたいと思います。