2004年6月、天理高校柔道部の一つ先輩である石井兼輔先輩(生涯の縁>>)が、国際武道大学 武道学科の教授に就任されました。
当時、そのお祝いの会が出身地(兵庫県洲本市・淡路島)で開催される為、先輩は帰島されることになりました。
私と、一つ後輩である兵庫育英高校柔道部 有井監督も、その帰島に同行させて頂きました。
関西空港にて3人で合流後、フェリーに乗りました。
淡路島の洲本港に船が到着すると、「祝 石井兼輔先生 教授御就任」と書かれた横断幕を掲げる人々が目に入りました。
大変な歓迎ぶりで、市議会議長、市教育長、市農協理事長、恩師、同級生等(約50名)の皆様方が、石井先輩の帰島を待ち受けていらっしゃいました。
下船と同時に先輩は握手攻めにあいながら、「ありがとうございます」と何度も手を握り返し、涙を浮かべられていました。
その様子に私や有井も涙が出ました。
その後、宿泊する旅館で暫くの休憩後、夕方から先輩の幼馴染の料亭で祝賀会が始まりました。
冒頭で石井先輩の就任報告があり、順番に御来賓の皆様方のごあいさつへと移行して行きました。
その時、乾杯の音頭をとられた御来賓のごあいさつが、未だに心に残っています。
要約してみます。
「普通の乾杯は、皆さまの健康と石井君の教授就任を祝して乾杯というのが普通かもしれませんが、今日は敢えて乾杯とは言わず、『石井教授ありがとう!』と言わせて頂きます。
なぜならば、ありがとうは『有り難い』から変化した言葉で、『有ることが難しいもの』であり、当たり前ではない奇跡だということです。
石井君は到着直後から『ありがとうございます』と何度も我々に言ってくれていますが、私は『有ることが難しい祝賀会に感謝しています!』と聞こえていました。
つまり私たちは『奇跡!(有ることが難しい)奇跡!(有ることが難しい)』と、寿ぎ合っているということだと思いました。
日常の出来事も、今生きていることも、自分という存在さえも、全て『当たり前ではない有り難いこと』の連続なのです。」
そう仰ると、高らかとグラスを掲げ「石井教授ありがとう!」と乾杯の音頭をとられました。
この後は例によって例の如く、来賓の西嶋先生(兵庫県柔道界の重鎮)を始め、ほとんどの方が柔道経験者だったので、体育会系によくある無礼講になったので内容は書けません。(笑)
最後は石井先輩の謝辞で締め括られました。
「自分を育ててくれた淡路島の皆さまに感謝の想いを伝えたく、戻ってまいりました。
明日、少年柔道教室の講師をさせて頂くことは、地元への恩返しだと思って一生懸命務めさせて頂きます。ありがとうございました」
と締められた瞬間に、一同割れんばかりの拍手が起こりました。
ちなみに、「有り難い」の反対語は何だと思いますか?
「当たり前」なのだそうです。
今、自分を取り巻くあらゆる事項を、「当たり前」と見るか「有り難い」と見るか、
その見方ひとつで、人生は冷え冷えとしたものにも、暖かなものにも、変わるように思います。