御朱印を収集するのが、数年前からブームになっているらしいです。
「御朱印女子(ガール)」という言葉まで生まれて、神社や仏閣とは程遠かったイメージの若い女の子も、今ではあちこちとお参りに伺う中で多く見かけるようになりました。
しかし「スタンプラリー感覚で集めるのは本末転倒」などの排他的な批判もあるみたいです。けれどたとえブームであっても、今まで神社仏閣に興味が無かった人たちが各地を訪ね歩き、積極的に一期一会の経験をする事は、喜ばしいことだと私は思います。
さて前置きが長くなってしまいましたが、私の、ご住職との一期一会を紹介させていただきます。
実は私もご多分に漏れず、掛け軸や御朱印帳を持ってあちこちを駆け巡る御朱印オッサンです。
ただし一時のブームに乗ったのではなく、両親の実家が共に信仰の厚い家系だった影響もあって、よちよち歩きの前くらいから、あちこちの神社仏閣を巡ったと聞いています。
このような環境の中で、私が中学3年生の頃、徳島県の四国八十八か所六番札所の安楽寺へ母方の叔父と一緒にお参りに行った際の話です。
本殿でお参りをさせて頂いた直後、「何をお願いしましたか?」とご住職に声を掛けられました。
私はその時期、天理高校柔道部に入部する事がほぼ決まっていたため、「天理に行って柔道日本一になりたい!」とお願いしたことを迷わず打ち明けました。
するとご住職は、「天理は野球や柔道の強い所やね。素晴らしい誓いやね!努力して日本一になるぞ!という自分自身への宣言を本殿でした訳ですね?」とおっしゃいました。
私は「日本一にしてください!」とお願いしたつもりだったので、「ちょっと違うけど!?」と心の中で突っ込みを入れながら、急に話しかけられたこともあり言葉を継げずにいました。
するとご住職は、
「柔道が出来る環境の全てに感謝し、努力を惜しまず精進すれば道は必ず開かれますよ」
「神仏の前では、まず自分自身が置かれている環境への感謝を伝えなさい。そして神仏に対して誓いなさい。そして日々安全にお守り頂けるようにと願いなさい」
「また難儀や事情や病気や不自由のある人は、自身も努力しますが不思議なお力も貸してくださいと願いなさい」といったような内容のお話をしてくださいました。
40年も前の記憶なので不正確な点もあるかとおもいますが、このご住職との一期一会の会話により、仏壇や神棚を始めとし、手を合わす際の心の在り方が変化しました。まさに「神頼み」から「感謝と誓い」に変化しました。
2012年に書いた「努力を極めてからじゃなければ運は来ない>>」のお話も、この時の会話が起因しています。