「やってみたい」と思った事を、やろうと思えば出来る時に、やらずに(挑戦せずに)終わってしまい、同じ事をやって(挑戦して)成功した人を見ると、必ずと言ってよいほど後悔の念が沸く。
私が、やらずに後悔している事は「英語」である。
あれだけ時間があった学生時代に、何故マジメに勉強しなかったのだ!?と昔の自分を思い出して悔しい気持ちになる。
今ほど世の中がグローバルになるとは、あの当時は思わなかった。もっと正確に言うと、そういう事すら考えた事が無かった。
海外の会社と、商社を経由してお取引をすることもあるのだが、私が自在に英語を話せたら、もっと違うビジネスの仕方もあっただろうし、また海外の船会社から突然問い合わせの英文FAXが直接送られて来た時にも、あんなに大慌てにならずに済んだだろうになぁと思う。(結局、英語が出来て輸出入に堪能な行政書士の先生に、コンサルを通じて丸投げした)。
「人間万事塞翁が馬」の回に紹介した、同じ高校の柔道部の先輩達が、フランスやスペインに、柔道の海外普及のために派遣され、その後そのまま移住され、今ではペラペラに外国語を操っている様子を以前拝見し、本当に眩しく、羨ましい限りであった。
同じく「生涯の縁」の回に紹介した柔道部の先輩も、それなりにそれなりの英語を操りながら、大学の国際交流センター長として柔道の国際大会等に派遣されたり、留学生のお世話等をされている事を知る度に、
「なんで、同じ寮の、同じ部屋で、同じ時間を過ごしたあの先輩が英語喋れて、俺が喋られへんねん!?」と、妬ましい思いである。笑
英会話教室にでも通って、その結果、センスも才能も無くて喋られなかった・・・という始末ならば、今のように悶々とした後悔ではなく、カラっとした諦めが手に入ったのになぁと思う。
学ぶチャンスを狙っているのだが、「D」を「デー」と発音してしまう私には、なかなかその一歩が踏み出せず、「そんな時間も無いし」と言い訳を自分にしてしまう。
「やらずに終わった後悔」と、「やって、失敗に終わって、する後悔」。
どちらが正解かなんて無いだろうが、やらなかったことへの後悔は、いつまでもずっと残るものだなぁ・・・。