昔、こんな事があった。
ふと思い出したので綴ってみたい。
これまでに何度も書いて来たが、私の亡き母は病弱で、入院することも多く、退院して来ても寝付いていることが多かった。
そんな母を、父の姉は事あるごとに責めた。
小言が始まるのは、きまって父が不在の時。小言の内容は病気のことで、母にとってはどうする事も出来ない不条理な非難であった。
寝付くことが多い病弱な嫁に、夫の身内がキツク当たるのは、当時の時代的背景と環境を考えれば、よくある事で、母は父に愚痴一つこぼさず我慢を重ねていた。
父の姉も、悪気のない素振りで叱責を当たり前の事のような態度でいたが、母は辛い思いをして落ち込み、いつも苦しんでいた。
幼い私に対して母は、そんな姿をあまり見せないようにはしてくれていたが、たまたま見ていた私もすこぶる心が痛く、何度も酷く傷ついた。
今でも当時の母の気持ちを考えると、毎回、涙が出て震えが止まらなくなり、悔しかった想いが蘇る。
あまり弱音を吐かない母であるが、ある日、
「あの人と私は、人としてどれほど違うのだろう?」
「あの人は私よりどれだけ偉いのだろう?」
「私は、なりたくて、こんな病気になったのではない!」
と私に小声で漏らしたことがあった。
この瞬間の事は心に焼き付き、まるで映画のように鮮明に思い出すことが出来る。
あの時、私は、
「叔母さんを一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」
と母を慰める気持ちで言った。
すると母は、
「人を恨む事は絶対してはいけない。仕返しは必ずまた自分にいずれ返ってくる。それなら人を恨むんじゃなくて、人が羨む男になりなさい」
と教えてくれた。
母が亡くなって何年経っても、私の悔しい気持ちは消えず、父の姉が憎らしかった。腹が立っていた。しかし最後のところで、私は母の言い付け通り、父の姉を恨む事はしなかった。
父の姉が住むところに困った時には、振り子のごとく「憎らしい気持ち」と「許そう」という気持ちの間を行き来したが、結局、私が所有する空き家を提供した。
父の姉は、亡くなる寸前に病院に入るまで、その家で暮らした。
父の姉は鬼籍に入ったが、(他にする人がいない為)私が約20年間、父の姉の墓掃除と墓守をしている。
渋々ながらも許して手を差し伸べたことで、激しい怒りは少しずつ昇華され、凪いだ心を取り戻した気がする。
この世では、父の姉の前で小さくなっていた母が、今頃あの世では、大きな顔をしてくれていることだろうと願う。