手段を目的と勘違いしてはいけない

「何のためにするのか?」「目的は何か?」

例えば掃除一つにしても、目的を意識する者と、しない者では出来映えが違ってくる。

掃除の目的は、小さい目的は「職場を清潔でキレイにすること」、大きい目的は「顧客様に気持ち良くご来社頂けるよう、そして社員の皆が気持ちを良く働ける職場にすること」である。

それが目的で、掃除は手段である。

そんな事は分かっていても毎日の事になってしまうと目的を意識しなくなり、掃除の時間だから単に掃除をする、上司に言われたから掃除をする、といった風に「掃除をしたという事実を作ること」だけが目的になってしまう時もあるのではないだろうか。

「気持ちを良くご来社や気持ちよく働ける職場にすること」を目的で掃除していた時は、工夫しながらより良い環境にする為に掃除していても、「掃除をしたという事実を作る事」が目的になっている時は、四角い部屋を丸く掃いてしまっているのではないだろうか?

人間は、新しく何かに挑戦する時や、特別な事をする時は、目的意識を持つものだが、ルーティンワークに目的意識を持ち続けるのは難しいものだと思う。

だからこそ折々に「何のためにするのか?」「目的は何か?」と何度も何度も繰り返して伝えることが、上に立つ物の役割であろう。

 

また、イレギュラーな事が発生して判断に迷った時にも、目的を今一度思い出してそれを軸に考えると、答えが出しやすい。

小さい事だが例を挙げると、前回に詳細を書いたが>>グラウンドゴルフ大会 フラワーホームカップ>>の特別賞として男女合計20名様に抽選でパン(お一人様お好きなパン10個)の引換券を贈呈させて頂いた。その引換券には、もちろん引換期限があり、それは券に記載している。

しかし、その期限を過ぎてから引換に来られる方が何名かおられた。

そんな時にどうするか?

小さな事だが、やはり現場で対応する職員は判断に悩むシーンだと思う。

しかし特別賞を贈呈した目的は、カップに参加してくれた人に喜んで頂く為であり、フラワーホームを知って頂く為であるから、ここで「引換期限が切れています」とシャットアウトしてしまうとガッカリされるであろう。それにすでに賞の分の予算は取ってあり、さらに追加で費用がかかるという事も無かったので、その日の訪問販売のパンをプレゼントしましたと報告が現場からあった。

 

私は常々、各事業部長には「最後は私が責任を持つから、自分で考えて良いと思うことは何でもやってみろ」と言っている。

『目的』を見失わなければ、そう大きく道を間違えることは無いだろうと思う次第である。