先般、公益法人のAさんがご来社くださった。
業務に関するお話は10分程で終了し、その後2時間近く、超科学・超自然現象の話で盛り上がった。
通常は、先ず受付係が応接間にお通してお茶をお出しした後に、ご挨拶・名刺交換・本題へと行くわけであるが、Aさんは違った。
というのは、名刺交換が終わると同時に、応接間に飾ってある写真を見付けられて、
「あっ!阿闍梨!比叡山1,000日回峰行を2度に渡り達成された酒井雄哉大阿闍梨とお知り合いですか?」
と質問を投げかけてこられた。(関連記事:大阿闍梨 酒井雄哉師>>)
その眼差しが、場をつなぐ為の質問ではなく本当に興味津々のものだったので、私は同士を見つけたような気持ちになって、思わず膝を乗り出してしまった。
最初の10分間だけは業務に関する話をした。
この後、超科学・超自然現象について話が弾んだわけだが、その中でも、
酒井大阿闍梨の「堂入り」に関し、Aさんと最終的に共通認識に到達した事柄を書いてみたい。
堂入りとは、700日の山歩きを終えてから挑む死者も出るような難行で、山中のお堂に籠もり、9日間に渡り食事も水も絶って、また眠らず、横にもならず、一日3回御本尊様の前で火を焚きながら修法し、更に他の時間は、不動明王さまと蔵王権現さまのご真言を各10万遍、数珠と石を使って数えながら9日間唱え続けるというものである。
入堂前には阿闍梨は生きながらにして葬式を行ない、5日目からは一日1回のうがいが許されるが、空の茶碗にうがいで吐き出した水を入れ、それを測り、最初と同じ量の水が入っていないと、そこで行は失敗とみなされるらしい。
実は私は、この事実に不思議を禁じ得ず、医師に「こんな事が可能なのか?」と質問したことが過去にあった。Aさんも、私と同じく医師に尋ねたことがあるそうだが、どちらの医師の答えも次のようなものである。
「医学や科学的には、飲まず食わず眠らず横にならず、ましてや火の前では2~3日くらいが限界で、肉体的に不可能である。しかし、今の科学の力では解明出来ない不思議は沢山存在する。」という答えであった。
金縛りが解明されたのは20世紀中頃から後半にかけて少しずつである。それ以前は、金縛りは「科学では解明出来ない不思議」であった。
それと同じように、堂入りの不思議は、「今の、現在の、」科学では解明できないだけで、30年先の科学では証明出来るようになっているかもしれない。
科学史が学問として成立したのは、アメリカ合衆国で科学史専門論文誌ISISが発刊された1912年ごろがその成立と考えられているそうだ。
それからたった約100年間で世の中に存在する不思議全てを解明できるわけがないのは当然で、「科学で証明出来ないこと」イコール「真実ではない」と考える方がナンセンスであると私は思う。
UFO(未確認飛行物体)、心霊現象、UMA(未確認生物)、オーパーツ(場違いな出土品)等も今は単なるオカルト扱いであるが、その内に証明される日が来て、人類は畏敬の念を持って受け入れる事になるだろう
というのが、Aさんとの共通認識である。
私がこのような話を熱弁すればするほど、冷ややかな視線になる人が多い中、この日の談話は大変楽しいものとなった。