「最近、中学生のカバンが重たくなった!(平均約10㎏)」という話をテレビで観た。
2002年より始まった「ゆとり教育」の学習内容削減に伴う国際学力テストの順位低下やそれらに付随する諸々の弊害に気付いた政府が、2011年頃より今度はそれまでとは真逆の方針に転じ、学習内容を徐々に増加させたことにより、教科書が厚みを増し、副教材が増え、その結果、中学生のカバンが重くなったらしい。
あまりの重さに、一つのカバンに入れるのは無理で、手提げとリユックの2個に分けて通学するそうだ。
その番組を観ながら思い出したのは、私の中学時代の通学カバンのことである。
重くなったと言われている現代の中学生のカバン(平均約10㎏)の約2倍の22㎏ぐらいあったのではないかと思う。
私のカバンの中身を羅列すると、「カバン1㎏、柔道着2㎏、弁当1㎏×2食、水筒1㎏×2本、教科書&ノート3㎏、砲丸投げの玉5㎏×2、木製砲丸ケース1㎏×2=合計約22㎏」くらいだったと記憶している。
お分かりのようにカバンが重い原因は、木製のケースに入った砲丸投げの玉2つなのだが、私は約1年弱、毎日このカバンをぶら下げて通学した。
陸上部でもない私がなぜ砲丸をカバンに入れていたのか
この経緯を話すとこうである。
私が中学3年生の時、大阪中学生柔道大会で好成績をおさめたことを聞きつけて、ある日、母の従兄妹が砲丸投げの玉を2個持って訪ねて来てくれた。
母の従兄妹は学生時代、高校・大学と陸上部に入り、砲丸投げの選手として近畿ではかなり活躍した人物である。
母の従兄妹曰く、「人と同じ練習量ではダメだ!」「人より少しでも多く練習しろ」「通学時間中も練習できる」「俺は中学&高校の6年間、カバンに砲丸を入れて通っていた」「そして近畿でも好成績を上げた」と教えてくれ、彼が学生時代に使っていた砲丸を私に譲ってくれた。
何事もすぐにしないと我慢できない単純な性格の私は、「善は急げ!」と翌朝から、木製砲丸ケースに入った砲丸×2個をカバンに入れて通学を始めた。
当時、まだ体も出来ていない中学生だった私にとって22㎏のカバンはたいへん重い物であった。
歩き始めて最初はたぶん200m(もっと少ないかもしれない)も進むと左右の手を持ちかえないと痺れて握力が無くなってしまうほどであった。
しかし3か月くらい経つと通学距離(約2㎞)の半分くらいで1度、左右持ち替えるだけで学校に着けるようになった。
そして迎えた近畿中学生柔道大会では優勝は逃したものの好成績を修めることが出来た。
その後、中学のクラブ活動も引退し天理高校柔道部への進学も決まったが、中学卒業まではこのカバンを毎日持ち、引退後は放課後、泉南市柔道協会の道場へ通い続けた。
卒業間近には近隣(約2㎞)ではあったが、行きは右手、帰りは左手で、手を変えることなく持ち続けられるようになっていた。
最初はとんでもなくしんどいと思った事でも、次第に体力もつき、慣れてくるものである。
その頃に感じていたことは、
「これだけ鍛練したのだから天理高校柔道部に行っても、誰にも負けないかも!?もしかしたら入学と同時に俺が1番強いかも!?」
という、ニヒヒとした自負であったが、入学後すぐさま、その思いは木端微塵に打ち砕かれたのであった。
その後のことは「私の大きな勘違い>>」にて記載。