こんな出来事があった。
確か私が小学5、6年生の夏のある日の夕方、母の入院するN病院にお見舞いに行った時の事である。
母の病室のベッドのそばにゴキブリが現れた。
気の強い母であったが虫類にはめっぽう弱く、姿を見た瞬間に悲鳴を上げた。
私は即座に雑誌で叩きのめして退治したが、病室の隅々を見回すと、あちらこちらに小さなゴキブリがいた。
看護師さんに言いに行くと「明日、掃除のおばちゃんが来たら言っとくわ」と、にべもない返事である。
子供心にも怖がる母を思うと、このまま事を放置してはおけないと思った。同時に私は病気の母の「一大事」だと思った。
そこで私は殺虫剤を撒くかバルサンを焚こうかと考えた。
当時、私たち家族は、木造の古い長屋の賃貸住宅に住んでいたので虫の発生が多く、年に数回はバルサンを焚いていた。そのため子供ながらにも使用方法は熟知していたのである。
しかし当時は今のように遅くまで開いているドラッグストアは無く、時間も夕方と遅かったこともあって、今から薬局を探して物を手に入れるのは難しいと思った。
しかしゴキブリに悲鳴を上げた母をそのまま置いて帰るのは忍びない。
なんとかしようと私は知恵を絞った。
考え出したのが、燻煙材を手作りすることであった。
まず、病院のお風呂場に行ってアルミ製の風呂桶を手に入れた。そして病院の裏庭に行ってヨモギの葉を風呂桶にたくさん集めた。(ヨモギが虫除けになるのは、祖父の戦時中の話から知っていた。)
病室に戻る途中にあったゴミ箱から覗くミカンの皮もついでに手に入れた。(煙を上げても良い匂いがするかな?と考えた私のアレンジである。)
それらと割り箸や雑誌を細かく引き裂いた物を混ぜ合わせ、新聞で包んだ。
空気が入りよく燃えるように風呂桶に割り箸を敷いて、その上に新聞紙で包んだ自家製燻煙材をセットした。
適当に理由をつけて母を廊下に出した後、自家製燻煙材にマッチで点火したのち、更によく燃えるように残りのマッチも散らばせて一緒に全部入れたのである。(焚火の仕方も、祖父に空き地で何度も焼き芋を焼いてもらったので知っていた。)
何分ぐらいの時間を空けたかはもう忘れてしまったが、結果、母の病室からゴキブリは1匹もいなくなった。
今考えると、叫びたいぐらい大迷惑な悪ガキである。
しかしその当時は、なんとしてでも母の病室からゴキブリを駆除したい一心だったのである。
(N病院の皆さま、非常識なことをしまして、今更ながらお詫びいたします。)
「知恵をしぼる」で、もう一つ。
私の母方の祖父は若い時から大変なコーヒー好きであった。
祖父は従軍中、戦地でも知恵をしぼってコーヒーを自作し飲んでいたそうだ。
祖父は昭和12年の日華事変(支那事変)から従軍し第二次世界大戦へと続き、昭和20年の終戦まで中国大陸や南方の戦線をあちこち渡り歩いたらしい。
南方のジャングルでは天然のコーヒー豆の木がいくらでも自生していたそうだ。その木から生豆を取り、食料の缶詰の空き缶を使って焚火を利用し焙煎した後に豆を石で潰して、それにお湯を入れて上澄みを飲んでいたのだと教えてくれた。
今回は「無いと諦める前に知恵をしぼろう」という事をテーマに書きたかったのだが、それ以前に「非常識過ぎる!」と怒られそうな内容になってしまった。