本日は、私が約45年間育てている『花月(カゲツ)』について書いてみたい。
この花月は私が小学校4年生(昭和46年)の時に、我が家にやって来た。
当時、父の友人であった華僑系日本在住外国人のEさんから父が頂いたものである。
「縁起の良いサボテンで、玄関に飾って育てると金運もよくなる」
とEさんが父に説明するのを、私も一緒に聞いた。
しかし父は縁起や迷信の類は気にしない質だったので、あまり興味を持たなかったようである。
日夜 働いていた父は植物の世話をする余裕はなく、母は入院で不在がちだった為、花月は玄関にポツリと放置されたままになっていた。
3~4か月もすると枯れ始めてきた。
ある日、私はそれを見つけて、「これは縁起が悪い!このままでは我が家の金運がダメになってしまう!」と思い、すぐに水を与え世話を始めた。
それ以来、ずっと今日まで連綿と約45年間育てている。
ちなみに私は、例えば「遠足に行く方角が悪い」とか「その日は仏滅で日が悪いので授業参観を取りやめたほうがよい」などと言って、担任の先生を困らすほど縁起を気にする少年であった。(現在もそうである)
この花月という植物は、実に繁殖力が旺盛である。
鉢植えだと1.5mぐらいの大きさになれば、土の量の問題もあり養分を吸いにくくなって、寿命が尽きて枯れてしまうが、しかし落ちた1枚の葉っぱが、そのまま土に着床し、すぐに新芽を出し始める。また伸びすぎた枝を間引きした後に、挿し木をしてもすぐに根を張り成長し始めるのである。
小学生男子の大雑把な世話であったが、枯れかけていた花月は再び元気を取り戻して成長し、その後、何度も寿命と再生を繰り返しながら、どんどんと増えて行った。
鉢が増えるたびに、私は同級生や近所のかたに、縁起の話と共に花月をプレゼントした。
それでも中学を卒業するころには、50cmほどの株が十数鉢、手元に残っていた。
しかし私は中学を卒業と同時に郷里を離れて、奈良県の高校の寮に入ることになった。
寮に鉢を持って行くわけにはいかず、半分を母方の祖母へ、残りの半分は父に託した。
その後は、柔道まっしぐらで、花月どころではなかったが、3~4か月ごとの帰郷の際には水やりをした。
大学を中退後は愛知県にしばらく居た。
数年ぶりに郷里に戻ってきた訳であるが、花月はかろうじて枯れずに生きていた。
肥料は全く追肥していなかったので、さほど成長していなかったが、水遣りは欠かさずしていてくれたようである。
帰郷後、手元に戻ってきた花月を、独立した事務所の前に並べて、また育て始めた。
その後、花月は幾度となく寿命と再生を繰り返した。
私は、鉢の数が増えれば周りの方たちにプレゼントしながら育て続けた。
39歳の春頃、ある日突然、花月はピンク色の小さな花を幾輪も咲かせた。
何十年も育てていたが初めてのことだったので、とても嬉しかった。
今冬も寒い日はナイロンを被せて養生しながら大事に育てているが、もういつの間にやら、季節は早春である。
寒さもやっとゆるんできたし、花月も喜んでいるだろうか。