嘘でもホンマでも

私が小学生の低学年のころ、母方の祖父母に天王寺動物園に連れて行ってもらった時のことである。

いきなりその帰り道に話は進むが、動物園の出口を出るとすぐ、全身「白ずくめ」の衣装を着た3人の男たちが目に飛び込んできた。

よく見ると一人は松葉杖を横に置いてアコーディオンを弾いている。

またもう一人の人はそれに合わせてハーモニカを吹いていた。

そして3人目は車いすに乗ってうつむいたまま、ただ座っていた。

そして3人の前には缶詰か何かの大きな空き缶が置かれていた。

祖父はそれを見つけると3人の前まで行き、軍隊式の敬礼をしてから、幾ばくかのお金を空き缶に入れた。

私は当時、状況が全く掴めず、帰りの電車の中で祖父に先ほどの出来事の一部始終を尋ねた。

 

まず3人の方は戦争(第2次世界大戦)で怪我をして体が不自由なり、日本に帰って来た後も働くことが出来ずに困っている方(傷痍軍人)であるということを教えてくれた。

また祖父は、自分自身も支那事変(昭和12年)を皮切りに、終戦(昭和20年)まで9年間にわたり従軍したことを教えてくれた。(戦争と平和>>

「たまたまお爺ちゃんは生きて帰ってこれたけど、それはそれは大変な事やった。」

「毎日のように怪我人や死人が出た。部下や同僚や上官も怪我や病気でどんどん死んでいった。」

「一歩違ったら、お爺ちゃんがさっきの3人のうちの1人になってたかもしれへん。お金を入れさせてもらうのは、命あることに感謝するお爺ちゃんの気持ちや!」

と説明してくれた。

するとすぐさま祖母が

「かっちゃん、お爺ちゃんはアホやろ!あの人らはなぁ、暗くなったら、すたこらと普通に歩いて帰るんやで!お金出すのは止めときって、いつも言うてるのに、この人は何回言うても止めへんのや!」

と、ぷりぷりしながら言った。

すると祖父は眉を吊り上げながら

「おまえは孫に何てことを言うてるんや!あの人らが嘘でもホンマでも、俺の感謝の気持ちには関係ないんじゃ!」

と怒鳴った。

後にも先にも、あれほど怒った祖父の顔を見たのはこの時が初めてで、強く印象に残った。

ちなみに当時としては珍しく、祖母の方が祖父より6歳も上の「姉さん女房」であった。

 

私は外出先で、道端の道祖神さま・神さま・お地蔵さま等を見つけると、ほぼ必ず手を合わすし、 行者さま・神名流し・托鉢僧の方々に遭遇すれば、一期一会を感じると同時に、いま自分が在ることに感謝の気持ちを感じて、幾ばくかの小銭を入れさせていただいている。(神頼みの男>>

たとえその托鉢僧が偽物であったとしても、祖父の言葉を借りるならば

「あの人らが嘘でもホンマでも、俺の感謝の気持ちには関係ないんじゃ!」である。

いま自分が在ることに感謝し手を合わす「きっかけ」になってくれたのだから。

お金を入れさせていただくのは、そのお礼である。