先般、当社シニア事業部のサ高住「フラワーホーム」の駐車場に車を停め、玄関へ向かうと、車いすに乗ったご高齢の女性の入居者さまと向き合うスタッフがいた。
入居者さまは「家がこいしい」「家に帰りたい」と涙ぐまれていた。
スタッフは入居者さまの手を握り締めながら話を聞き、真摯に慰めていた。
私はこの姿に、高齢者施設としてフラワーホームが目指して行かなければならない原点を見る思いがして胸が一杯になった。
入居者さまのホームシックが少しでも癒えるお手伝いになればと、私も一緒にお話をさせてもらった。
さて私が柔道に青春を費やしながら暮らしていた高校は全寮制だったため、ホームシックにかかった人達を、これまで数えきれないぐらい見てきた。
入学当初の1年生は「ホームシック」の雨あられどころか嵐か台風状態である。
私は、母が病気がちだったため、幼少期から生家で過ごす時間よりも、両祖父母宅や親戚宅で過ごす時間の方が長かったので、小学生時代ぐらいまでに既にホームシックは卒業していた。
しかし実家を離れて暮らすのが初めてだった皆は、たとえ全国の各都道府県で中学生チャンピオンになった者が集まる柔道部においてでも、練習と規律の厳しさも相まって、ほぼ全員がホームシックにかかり、憂いに沈んだ。
そんな彼らを慰め元気づけるのは、伝統的に同じクラブの上級生たちである。
なぜならば自分も同じ思いをしたから、同じ苦しさを分かち合える。
私も上級生になってからは、ホームシックに沈む後輩たちと時間を掛けてじっくりと向き合ってきた。
ホームシックの原因は複合的な要素が複雑に絡み合い、何らかの事柄が引き金になってパンデミックを起こす訳であるが、後輩の気が済むまで、まずはじっくりと時間をかけて話を聞くことが大切である。
この「じっくりと時間をかけて聞く」という行為の中で、ふたたび前を向いてもらう糸口が見えて来る訳である。
今回の場合でも、スタッフが先行して入居者さまのお話を、じっくりと時間をかけて聞いていたおかげで、会話に途中参加してすぐに糸口を見つけだすことが出来た。
そしてキーワードは「寂しい」であった。
しかしご家族様も、よく訪問してくださっているのだが、高齢の為に若干の認知も見られるので、訪問があった事を忘れがちになられているのだろう。
話を伺う中で、子や孫や曾孫様の話題になった。
さらに、この入居者さまは玄孫の方までいらっしゃるという。
そして子孫の人数は70人を優に超えていらっしゃるらしい。
私はその人数の多さに驚愕を覚えると共に、そして純粋に素晴らしいと思った。
その思いを率直な言葉でお伝えしたところ、
「そうや!私には、この地球に同じ血が流れている人間が70人も居るのや!」
「そう思うと、寂しい事も何もないわ!」
「これが私の生きた証や!」
とおっしゃられて笑顔になり、そして
「玄関で居たら寒くなってきたから部屋に帰るわ。車いす押して!」とスタッフにおっしゃり、自信に満ちた顔でお部屋に戻られたのである。
言うまでもなく私はすぐさまスタッフに「ありがとうカード>>」を手渡した次第である。