ほぼ「勝利」を手中に収めた状態から、まさかの負けを喫するときが往々にしてある。
4年前、男子柔道の無差別級日本一を決める大会「全日本柔道選手権大会」の決勝戦に、私が後援会会長を務めさせて頂いている柔道家 石井竜太選手が勝ち進んだ。
身長193cm・100kg超級の大きな竜太選手に対し、対戦相手は二回り近く小さな174cm・90kg級の選手である。
体格差を見た瞬間、私は竜太選手の優勝を確信し、試合前であったが完全に浮き立ちながら優勝パーティ―の会場を急遽抑えた。
今夜は朝まで祝勝会だー!!!おぉぉー!
しかし・・・
結果は負けであった。
私は現役時代、相手を甘くみて、その結果負けてしまうことが少なからずあった。
「絶対に勝てる」と思った瞬間、慢心し油断し、それに起因するミスを多く重ねてしまい試合運びをうまく進められなくなる。そして試合途中からは、うまく進めないことに気持ちも焦り出し、日頃は自然に出来るはずの体捌きや組手、もっとも得意とする技まで掛からなくなってくる。
そんな時に「こんなはずではない!」と更に焦っても時すでに遅く、最悪の内容で負けてしまうことになる。
まぁ柔道の試合(スポーツ全般)に限らず、人生全般においても慢心・油断に起因する失敗やミスというのは怖いものである。
油断大敵の「大敵」は「最も強い敵」という意味らしい。しかしよく考えてみれば、その「最も強い敵」の正体は他人でも悪魔でもなく、油断してしまう「自分の心」なのだから、もどかしい。
獅子博兎(ししはくと)の四字熟語にもあるように、何事にも全力を尽くすことでしか良い結果は得られないのかもしれない。
ところで柔道をしていた当時、私は大変な負けず嫌いだったので、負けた相手に対しては、いつもすごく憎い感情を持っていた。次に試合をした時は、殴ってでもいいから勝ちたいとすら思っていた 笑!
しかしある時、「自分が負けた相手は、自分の弱点を教えてくれた先生と考えることが出来ないか?」と言われ、ハッとした。
相手がいるから戦えるし競えるし学べるし成長出来る。
講道館柔道だけではなくスポーツ全般の精神の根底にもあるように、全身全霊を傾けてお互いが切磋琢磨しながら競い合いことで、「相手を尊重する気持ち」や「相手に感謝する気持ち」が生まれるのだろう。
・・・と偉そうなことを書いてみたが、ほんとうは
私を負かした相手が駅の反対側のホームに居るのを見つけ、「柔道で勝てないんなら喧嘩で勝ってやるううー!」と走り出した私である。笑
ちなみにその時、私を羽交い絞めにして止めた1学年上の先輩が、石井竜太選手の父親(石井兼輔 国際武道大学 武道学科 教授)である。