冒険か無謀か

シニア事業部を立ち上げ、サービス付き高齢者向け住宅・フラワーホームを開設すると、色々の方から「こんなご時世に社長は冒険者ですね!」と言われる機会が多くなった。

しかし決して私は冒険者ではないのだが、でもそう言われると「冒険者」という言葉の響きに男心がくすぐられ少し嬉しい感じがする。

 

ところで、過去に2度訪ねたことがある兵庫県豊岡市の『上村直己冒険館』を思い出した。

ここは、世界初の5大陸最高峰登頂を無し遂げて国民栄誉賞を受賞した植村直己さんの冒険を支えた装備品や遺品などを数多く展示または収蔵しており、様々な写真や説明パネルを多用してテーマ別に分けて「冒険」を紹介しているところである。

また豊岡市で生まれ育った生い立ちから始まり、厳冬期アラスカの北米最高峰マッキンリーの登頂を果たした翌日の下山途中に、その快挙もつかの間、消息を絶ち行方不明になられたまでを忠実に解り易く、時系列を追って展示してある施設である。

 

さてその展示パネルで、植村直己さんは

「登山家として最大に必要な資質は、臆病者であること!」と語っている。

私はこの一文を読んだ時に衝撃を受け、胸が痛くなるほど共感した。

功績の大きさから、私は植村さんという人物は勇猛にどんどん猛進して行くタイプの人だと想像していた。

しかし実際には、「石橋を叩いて渡る人で、十分な計画と準備を経て、必ず成功するという目算なしには決して実行しなかった人物だ」というようなことが書かれていた。

意外であったが確かに、自分を過信して裏づけなく猛進して行く人であっては、世界初の「五大陸最高峰登頂者」になど、なることは出来なかっただろう。

冒険とは、行く先に待ち受ける困難を予想し、自分の力量と身の丈を客観的に確かめながら、「これならだいじょうぶ」と幾度も幾度も臆病なまでも確かめ、一つずつ不安を打ち消しながら進むことによって初めて成功に向かう、そういうものなのであろう。

月並みな言い方だが、失敗を恐れていては何もできないし、またリスクを恐れていても何もできないが、しかし冒険という言葉の中に潜在する本来の意味とは、想定される全てのリスクと困難を予想し、その為の準備を整えてから初めて挑戦することが、本来の冒険の意味であると思う次第である。

準備もなく果敢に進んで行くのは、「冒険」じゃなく「無謀」なのである。

 

また別の展示パネルには「過程が苦しければ苦しいほど、それを克服して登り切った喜びは大きい」と植村氏の言葉が書かれていた。

これは私も講道館柔道に青春を掛けていた高校柔道部時代に感じたことだが、確かに、それまでの練習が苦しければ苦しいほど、試合で勝利を手に入れた時の喜びはとても大きいし、感動する。

なにより自信になる。

反面、苦労せずに手にいれたものは、その一時は嬉しくても、ただそれだけである。

仕事でもスポーツでも、「あぁしんどいなぁ」と息を吐いてしまう度に、「でも、この努力の先に在るものを得た時の感動は大きいだろうなぁ。その日が楽しみだな。」と思えば、また頑張れるのではないだろうか。