「仕事に取り組む姿勢」を社員たちに理解してもらうには、自分の背中を見せることだと考えている。
そのため獅子奮迅の働きを先頭に立ってしなければならないと常日頃から心掛けている。簡単に言えば日中の業務のみならず、朝の掃除から夜の戸締りまでである。
天理高校柔道部時代にこんな事があった。私が1年生の時のことである。
秋の国体が無念な結果で終わってしまい、3年生が戦列を離れて、1、2年生中心の新チームに変わり、来年度の全国大会を目指して練習を始めた矢先の出来事である。
当時の監督 故 加藤秀雄先生(9段)が、寮の一階の大広間に1、2年生の部員を集めて訓辞を述べられた。
「お前たちが全国優勝を目指すなら、執念を持ってとことんまで練習をやり抜くしかない」
「執念とは自分自身との戦いということだ」
「徹底的に練習をやり抜くことでしか全国優勝は見えて来ない」
「そのためには先生も、先生自身の執念というものをお前たちに見せてやる!」
というような内容であった。
加藤先生が話されていた時の鬼気迫る形相は忘れることが出来ない。
某大学で教鞭をとる、ある先輩(当時2年生)と今年になってこの話をしたが、その先輩もこの日の出来事を忘れていなかった。
そしてその日以来、加藤先生の指導は、指導者の先頭に立って、極限を私たちに求めるのに近い厳しさになった。
来年こそは!と並々ならぬ決意をされたことの一端なのか、大好きな酒も煙草も一切止められた。
そして生徒よりも早く道場に立ち、生徒よりも遅くまで道場におられた。その上、朝6時のトレーニングのみならず、夜10時以降の自主練習まで毎晩のように見に来られた。
まさに獅子奮迅とはこのことである。
自分は楽をして口ばかりの先生であったならば、私たち生徒は、あの苦しい練習を最後までやり遂げることなんて絶対に出来なかったであろう。
目標を達成することも出来なかったはずだ。
けれども先生の本気を鼻先に突きつけられたら、こちらも本気で対峙するしかなかった。
当時はただただ無我夢中で、言われたことに従っているばかりであったが、社会に出て、経営者となって働くようになり、あの当時私たち生徒が悲壮なまでに本気になれたのは、先頭に立つ加藤先生という獅子奮迅な牽引者がいたからであろうと思った。
当社の各事業部のリーダーたちには、逞しい牽引者になってもらいたいと願っている。
そのためにも私は誰よりも獅子奮迅な牽引者であろうと心掛けている。