仕事だけに限らず、スポーツや学問や趣味にも通じることだが、「努力と結果」のパターンを上げると
① 努力以上の結果だった時
② 努力並みの結果だった時
③ 努力以下の結果だった時
この3つに、大別することが出来ると思う。
時として「運」や「偶然」が結果に多大な影響を及ぼすことがあるのも事実であるが、今回は「運」や「偶然」が作用した場合は抜いて考えてみたい。
私は、努力を続けていれば必ず、心と体が健康である限り「良い結果」に結びつくという信念を持って日々、企業経営に携わっている。
まず①の「努力以上の結果だった時」の場合であるが、過去に③のような「努力以下の結果だった時」が度々起っていたはずである。その度に重ねた努力がたとえ結果に繋がらずとも経験として残るはずである。その経験は重ねれば重ねるほど、スキルという名前の貯金になって行くと思う。
つまり努力以上の結果に繋がったのは、スキルという名前の貯金を使用したからではないだろうか?と考えるのである。
次に②の「努力並みの結果だった時」の場合であるが、これは貯金に例えると増減が無く、プラスマイナス0状態であろう。
そして③の「努力以下の結果だった時」の場合であるが、たとえ上手くいかなくても心が折れる必要も腐る必要もない。
そうそう簡単に、努力がダイレクトに結果に繋がるはずがない。今は未来に向けて貯金中と思えば良いのである。
「今」という「点」で見れば失敗に終わった結果も、長い目で見れば、次の未来に繋がるスキルという名の貯金なのである。
「結果に結びつかなかった努力」を積み重ねた貯金があるからこそ、①の「努力以上の結果だった時」のような日もあるのだろう。
野球界の王貞治さんが、こんな風に言っている。
『努力しても報われないことがあるだろうか。
たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。
それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とは言えないのではないだろうか。』