ゴールは無い

通常どこの学校も、高校3年生は8月のインターハイを最後に、クラブ活動を引退する。(※国体に出る選手は10月まで)

しかし私の在籍当時の天理高校柔道部は、入学式初日から稽古があり、それがなんと卒業式当日の朝まで続くのである。

ちなみに修学旅行中も柔道部は朝練があった。

 

高校生活最後の試合である8月のインターハイを優勝で締めくくり、

帰寮したその日の夜の話である。


監督の加藤先生より「3年生は全員、寮1階のテレビ室に集まるように」との指示があった。

その時、我々生徒たちの間で、ある噂が広まっており、その話題で持ちきりになっていた。

「今年の3年生は今日のインターハイをもって引退で、明日からは練習に参加しなくてもいいらしい」との「うわさ話」であった。

というのも、以前にも少し書いたが、それまでは無かった春の全国高等学校柔道選手権大会が、私たちが3年生の時に初めて開催されることになり、「記念すべき第1回目大会の優勝旗を天理に是が非でも持って帰る!」ということをスローガンに、朝の練習が約2時間半(通常は約1時間)に拡大されたのである。前述の大会の優勝旗を手にした後も拡大された練習時間は元に戻ることなく、今日のインターハイまでそのまま続いていたのだ。

「俺たちは歴代でNO,1に長い時間、稽古をして来た。それに春夏連覇の目標も達成した。だから、その褒美として明日からの稽古は免除されるらしいぞ!!」

そんな噂に期待して、みんな胸を躍らせ、はしゃいでいたのである。

 

ところが、である。

優勝後のお祭り気分でいる私たちの前に立つ加藤先生は笑顔の一つも無く、鬼の形相を作っているのだ。

その顔を見て、浮かれ気分でいた我々の顔も次第に真顔に変わる。

そして先生は、いきなりこう言うのである。

「先生はおめでとうとは一切言わない。今日のことは、人生のただの通過点の一コマでしかない。それにもう終わったことだ。」

予想外の言葉に、こちらは呆気に取られた。

この日の為に3年間必死で頑張って来たのではないのか?!

そんな我々の不満顔をものともせず、続いて先生から出て来た言葉が

「明日からは、第2回全国高等学校柔道選手権大会に向けて練習を始める!気を抜くな!3年生は今まで学んだ事を1・2年に教えてくれ。」

(おいぃ!!嘘だろー!!今日で引退できるんじゃないのかよー!!)

私たち3年生は膝から崩れ落ちるような気分を味わった。

いや実際に崩れ落ちていた者も居たかもしれない。天国から地獄とは、まさにこの事である。

うな垂れる私たちを見て加藤先生は

「先生の事を思い出すたびに生涯、先生を怨め!」

と言うのである。すごい言葉を言うものである。

先生の気勢に圧倒されて、不服を申し立てる気力は失った。

「柔道にゴールはない。柔道とは道衣を着て練習することだけではなく、その後も死ぬ日まで生涯に渡り精進するということだ。」

一同、加藤先生を見つめるだけで声も出ず・・・

 

30数年前の記憶を辿りながら書かせて頂いたので、表現には多少の相違点が含まれると思うが、こんな感じであった。

 

社会人になった後でも30代後半くらいまでは、先生の顔を思い出すと怖かった。

しかし40代に入ると、なぜか先生の顔を思い出すと嬉しくて、会いに行きたい気持ちになった!

しかし実際にお会いすれば、いつも私は直立不動であった。

 

経営者の私には定年がない。会社経営にもゴールはない。

目標や夢は有るが到達してしまえば、それもただの通過点に過ぎない。

野村豊和先輩がオリンピックで優勝され、金メダルを見せに来られた時も、加藤先生は、

「それがゴールではないのだ」という意味の事を仰って、金メダルを見なかったそうだ。

 

『生きている限り、大きな成功も失敗もそれはゴールではなく、通過点に過ぎないのだ。

だから良い時も怠慢にならず、悪い時にも諦めず、死ぬまで精進し続けよ!』

今そう心から思えるのは、卒業式の朝まで稽古をさせてくれた鬼の加藤先生のお陰なのである。

10代の時には分からなかった先生の想いが、今頃よく分かる・・・。