昨年、求人応募で履歴書を見る機会があった。
その履歴書には「尊敬する人」は「両親」と書いてあり、その理由は「私を生んで育ててくれたから」とあった。
私はそれを見て、なんだか「うーん・・・」と言いたくなるような、もどかしい想いに襲われた。と同時に、ある思い出が脳裏に蘇えって来た。
私が中学2年生の時、T君という同い年の少年が近所に引っ越して来た。
T君の家は母子家庭で、当時の私の自宅近くにあった大手スーパーの男子寮の寮母さんとして住み込みで働くために、高知県から大阪へ、母と息子の二人で引っ越してきたのだ。
近所だったこともあって、クラスは違ったがすぐに友達になった。
多感な時期でもあり、「好きなタレントはだれか?」「好きな女性のタイプは?」「大人になったら、何になりたいか?」など、たわいもない話題で盛り上り、よく夜中近くまで、互いの家を行ったり来たりした。
T君の話の中に頻繁に登場するのは「うちのおかあさん」だ。
「尊敬する人はだれか?」という私の問いかけに返って来た答えも、迷わず「おかあさん!」だった。
母子家庭になった理由は解らないが、女手一つで頑張る母親の苦労を見ながら育ったT君の素直な感情から出た言葉であったろう。
ある日、遊びに誘うために私はT君の家を訪れた。
玄関に母親が出て来て、まだT君は帰宅していない事を告げられた。それから少し学校の事などを聞かれ話した。
その会話の流れの中で、私はT君の母親に喜んでもらおうと単純に考え
「T君は、おかあさんの苦労を見ているので、おかあさんを尊敬している・・・」
みたいな話をするとT君の母親は、
「ありがとうの気持ちを持つのは大切なこと。親だけに限らず誰に対してでも持たないとアカンよ。でも、親が子供の事を思って苦労するのは当たり前のことだよ!当たり前のことをしている親を尊敬しなくていい!」
と言った後、私に横顔を見せて
「子供に親を尊敬させたら親は(子育ては?)失格やな」と独りごちた。
当時、私はT君の素晴らしい思いを代弁するような気持ちでお母さんに伝えたつもりだったが、その場の雰囲気が重たいものに変わり、よく分からないが何か悪いことを言ってしまったのだろうか?と、自宅に戻ってからも心が塞いだ。
結果、その言葉は今も耳に残っている。
けれど今になってみればT君の母親の想いは、私なりの解釈だが分かる。
親の姿を見て子供が感謝する、その事は嬉しい。
しかし自分の子が、親の姿しか見えないような視野狭窄になってしまっては悲しい。
もっと遠くを世界を見渡せば、仰ぎ見るような大きな事をやり遂げた人物や、憧れるような人物が沢山いるはず。しかし苦労している親の姿が子供の心を占めてしまって、他に目が向かないのでは申しわけない。子供には、もっと大きな世界を持って欲しい。
と、こんな感じだったのでは、ないだろうか?
きっと母親の想いが通じたのだろう。現在T君は、関西の某所で美容室を2店舗構え、立派に成功されている。
余談だが、感謝の気持ちと素直な敬意の表現方法として、両親の誕生日を記憶してほしい。
私は両親の誕生日には、「おめでとう」の一言も言わずに電話をかけるくらいだが、長年たとえ出張先からであっても声くらいは掛けるようにしている。
しかし、社員の誕生日には必ず簡単な昼食会を開催させて頂いているので、親不孝な子供である(笑)。