私の母校である奈良県天理高校は全寮制の学校である。
柔道部専用の寮があり、当時は3年生、2年生、1年生の1名ずつ計3名で一部屋を割り当てられていた。
体育会系は上下関係が厳しい。その厳しい縦社会の中で24時間体制の寮生活は、1年生にとってなかなか大変なものである。新入社員が課長と部長と一室で暮らしているようなものである。
部員達は、この規律ある寮生活を通して、我慢を覚え、社会性を養い、思いやりを知り、自立の精神を学び、その過程で色々な壁にぶつかりながらも乗り越えて、逞しくなって行くのである。
社会に出ても戸惑わずに縦社会の人間関係を築いて行ける術を寮生活から学ぶのだ。(⇒体育会系新入社員)
私自身も、寮生活を経験していなければ、今とは違う自分であっただろうと感じている。
高校1年の真夏の日のこと。
普段は授業をしている昼間の時間も、夏休みの間は柔道の稽古が延々と続く。
大量の蝉がうるさく鳴き、柔道場の中はサウナのように蒸し暑く、息苦しい。
汗が噴き出て、油みたいにヌメヌメして、少し動くだけでもどんどん体が重く感じ、体力が消耗して行く。次第に足腰に力が入らなくなって、体がフラフラと揺れる。
疲労の極みの中、自分では精一杯やっているつもりでも、先生や先輩たちの目から見れば、手を抜いているように思われ、激が何度も飛ぶ。
「おい!コラ!立花!表に出ろ!!」
ついに同じ部屋の先輩に腕を取られ、柔道場の外に引っ張り出された。
座るように言われ、しぶしぶそれに従うと、後ろ首に向かって冷たい水が落ちて来た。
熱く火照っていた体がスッーと冷えて、気持ちが良い。
それから先輩は「体冷やせ」と言って、お茶を持って来て与えてくれた。
当時は稽古中に水分を取るのは良くないという風潮で禁止されていた。
だから内緒の水分補給である。
もちろん私は大喜びで一気に飲み干した。
こうして生気を取り戻した私は、先輩と一緒に道場に戻って、再び稽古を再開した。
動きが良くなった私を見て、先生は、「活を入れられたのだろう」と思ったのか、「水を飲んで来たな」とバレていたのかは分からないが、先生は何も言わなかった。
自分が先輩になった時は、後輩に同じことをした。
同じ釜の飯を食う仲なだけあって、上下関係が厳しい中でも根底には強い絆があり、困ったことがあれば先輩に相談して助けてもらったり、仕送りが先輩の誰かに届けば、それで私たち後輩は飯に連れて行ってもらえたりした。
先輩たちに施してもらった親切に、お返しをした事は一度も無い。
そのぶん自分たちが上級生になった時、後輩たちに同じ事をすることで恩返しとした。
卒業後30数年が経つが今でも天理OBの集まりで「部屋人会」(同室になった上下の者の集まり)というのが、年に数回ある。その時、ある後輩から
「先輩にしてもらったことを後輩にした。」
という話を聞いて凄く嬉しい気持ちになった。
そうやって、先輩に返すのではなく後輩に返していく事で、伝統という連鎖が今も繋がってきているように思う。
そうする理由は単純で、全国優勝という目標に向かって柔道部全体が共に強く、そして皆が共に良くなって行けばいいと思っているからである。
確かに全寮制の柔道部は厳しいが、そこに講道館柔道の最大の教育目標である「自他融和共栄」が、意識せずとも自然に生まれてくる仕組みと環境が寮生活にはある。
すなわち身近な「家族意識」の共有から「絆」が生まれて、その絆からみんなで強くなろうとする「目的意識」が芽生えて、ひいては柔道部全体への「集合体意識」へ変化していくという波及効果である。
苦しい事の方が多かった寮生活だったが、今思うと社会に出てから役に立つ多くの事を寮での暮らしで学ばせて頂いたと感謝の念に堪えない。