法事が終わり、ご住職さんをお寺まで送らせて頂いた際の話である。
私が法事のお礼を述べると、ご住職さんは
「私の方こそお礼を言います。宗教離れが進む中、あなたのようにきっちりと作法通りの事をする人は大変ありがたい。私も毎日三食、食べて行かないと死にますからね」と笑いながら仰った。
その飾らないお言葉を聞いたとき、寺院経営も会社経営もプロセスは同じなのだろうなぁと感じ、つい失礼にも
「所詮、お寺も会社も飯を食っていけないと続けて行けませんからね」と返した。
すると
「その通りです。あなたの商売もなかなか難しいと思いますが、私の商売も難しいですよ。あなたは形のあるものを売りますが、私は形の無いものを売らなければならない」と仰った。
住職さんとの会話に興味を惹かれ、熱が入った私は
「実は私も形の無い物を売っているのですよ。まず会社と経営者である私を買ってもらわないと商品は売れません。あの会社ならだいじょうぶ、あの人から買った商品ならだいじょうぶ。そう思って頂けるように『信用』を売っています」と申し上げた。
するとお寺までもう間近だったこともあり、住職さんが
「あなたと少し話したいですね。もし時間があれば、上がってお茶でもどうですか?」と仰って下さった。
私は喜んでお言葉に甘えることにした。
以下、お茶を頂きながら住職さんから伺ったお話を、記憶を頼りに要約した。
住職さんは『教え』という形の無いものを売っている。
その教えの中の一つが、「あたりまえ」と「おかげさま」
たとえば五体満足である。健康である。する仕事がある。毎日食事が出来るなど今当たり前になってしまっている全てのことは、直接的、間接的な誰かの尽力があってこそのもの。
何気ない当たり前一つ一つに関心を寄せて、感謝しよう。
まず神様や仏様に手を合わすことから始めよう。
「おかげさまで毎日を過ごせています。ありがとうございます」
と心の中で唱えるだけでよい。
慣れてきたら、周りの人達に対しても簡単でいいから「おかげさまです」と感謝を伝えていこう。
これらは小さな行動かもしれないが、「あたりまえ」と思っていたことを「おかげさま」と感じる人が増えて行けば、世界はもっと良いものになり、平和へと繋がっていく。
お話は、このような感じであった。
今日も一日、私が仕事を出来たのは、私の周りの全ての方々のおかげであります。
おかげさまです! ありがとうございます!!
明日も頑張ります!!