グローバルスタンダードについて

グローバリズムが世界を滅ぼす

先般、当社のお得意さまであるナカノ株式会社の代表取締役 中野博恭社長より「グローバリズムが世界を滅ぼす」という御本を御恵贈にあずかり拝読させて頂いた。

大阪の片田舎の経営者である私にとって世界経済は難解で、自分の知識不足を再認識させられることとなった。

しかし、このままではそう遠くない未来に必ずや日本経済は沈没するのではないか!?という事を読み取ることは出来、将来に対する危機感に襲われた。

その結果、頭に思い浮かんだ文言が「グローバルスタンダード(世界標準=アメリカ型経営)では、日本経済は世界経済に勝てない!生き残れない。生き残るためには日本独自の新しい経営戦術を生かした攻めの経営をしていくべきである」ということである。

 

戦後、幾多の浮き沈みを繰り返しながらも右肩上がりで推移してきた日本経済は、バブル崩壊を境に失速し始めると、その打開策として日本の経営者はこぞってグローバルスタンダードを取り入れ、企業側に一方的に都合のいいように生産効率を上げて、経済合理性のもと利益追求に走った。

行く末を模索しながら新展開(打開策)を図る行為は、経営者として当然の事だと思うし、また企業のすべてを数値化して、経済合理性を追求した戦略を練るのも間違ってはいない。

しかし実際には日本とアメリカでは文化や思想も違えば社会基盤や土壌、国民性、企業と顧客の力関係、会社と社員の関係性、仕事に対する意識など、なにもかも違っている。

それだけ多くのことが違っているのだから、日本企業がただグローバルスタンダードを真似したところで生き残れないのは当然なのである。

 

いま日本に必要なのはグローバルスタンダードをそのまま真似するのではなく、良い所だけを抜き出し自社のシステムに最も適合するように進化させること、それと並行して日本型の経営戦術の強みを追求することなのではないか。

私が考える「日本型の経営戦術の強み」とは、柔軟に、きめ細やかに、迅速に消費者のニーズに応える「需要主導型」である。

日本は織田信長の楽市楽座の時代から、商人たちがネットワークを作って消費者のニーズや評価を集め、製造業者(メーカー)に代弁することによって、製造業者は研究と改良を重ね、顧客や社会に満足して頂けるものを作りだして来たという物づくりの歴史がある。

 

またアメリカ型経営は「効率と利益追求」であるが、日本型経営は「社員の幸福の追求」であり、人を第一に考え大切にすることで社員の結束力を高め、強い組織を作る、

アメリカ型は株価至上主義だが、日本型は長期的観点で会社の存続発展を考えるなど、様々な違いがある。

経営者は日本の歴史の中で培われた経済システムを再認識して、アメリカ型経営と日本型経営の良い部分だけを選択して融合させ、日本独自の新しい経営戦術を作り出して行くことが必要なのではないか。

そして時には、かつての日本企業のように標準から外れた経営、つまり外部から見れば「分けのわからない経営」をしてみるのも戦略だ。

日本企業が世界中の企業を買収してしまうのではないかと恐れられた高度経済成長の時代に、海外の企業からは日本企業の戦略が、どうも理解しがたい「訳の分からない予想出来ない戦略」であったらしい。競合が発生すると利益率を犠牲にしてでもシェア(市場占有率)を、とりあえず取りに行くことなどはその典型的な日本型戦略であろう。


現在はアメリカが作ったグローバルスタンダードという土俵の上で、アメリカのルールに従い日本企業は戦わされている。皆がそうしているから自社も・・・と日本人は付和雷同だから皆と同調したがるが、その土俵から勇気を持って一人飛び出て、どうも理解しがたい「訳の分からない経営戦略」で攻めてみるのも、益々グロバール化して行く経済で日本企業が生き残る手段の一つなのでは?!と、大阪泉南の片田舎の経営者は思うのであった。