左の写真は、2014年10月13日付の読売新聞・ 大阪版の朝刊に掲載されていたものである。
戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火で、行方が分からなくなった7名の捜索をしている隊員たちの姿である。写真の説明では、自衛隊、警察官、消防隊員らで構成された合同捜索隊とあった。
隊員たちの頭上には、今にも落ちて来そうな大岩が、かろうじて留まっているように見える。
いつ命を落としてもおかしくない過酷な状況の中、自らの危険をかえりみず、黙々と捜索活動に携わる方々に、私は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
それと同時に「仕事とは、人にとってどういう存在なのだろう?」と疑問が湧いた。
ここ数日、エボラ患者の治療にあたっていた医師や看護師がエボラに感染したというニュースが次々と入って来た。まさに命がけの現場である。
誰だって、そんな危険な仕事をしたくないだろう。
しかし「誰かがやらねば」という使命感、責任感から、本心では恐ろしくても逃げ出さずに職務を遂行し、社会に貢献している人たちが沢山いる。
日本からも女性の看護師が1名、西アフリカに派遣された。
そのかたが「防護服を着ていても、患者の血液や嘔吐物に触れたときは、緊張したし恐怖を感じた」と仰っているのを新聞で見た。
またエボラ患者の遺体を埋葬する仕事についている現地住民の男性は、TVのインタビューに「感染対策が万全ではなく不安だが、自分の国を守るために自ら志願してやっている」と答えていた。
多くの人たちの「仕事をする理由」は、お金を稼ぐ為であろう。
しかし、お金を稼ぐために、自らの身の危険を冒せるか?と問われると「NO」と答える人がほとんどだろう。
命がけで働く人たちにとって仕事とは、「生計を立てる手段として従事する労働」ではなく、もっと次元の違う存在なのであろう。
「人を助けたい」という信念や、「自分には助けられる能力があるのだから、行かなければ」という使命感が、命がけの現場に彼らを向かわせるのではないか。
また職務を全うしなければ!という強い責任感が彼らにはあるのだろう。
仕事を通じて自分は社会へ貢献出来ているという充足感も高いであろう。
彼らのような特別な仕事とは違って、我々のような一般的な仕事の場合、遣り甲斐や使命感そして信念を持って仕事に打ち込むのは、難しいかもしれない。
しかし一人一人に役割(仕事)があり、その役割を誠実に果たすことによって、大小の差はあれど、何らかの形で社会に貢献出来ていると私は信じている。
私には、彼らのような特別なことは、とてもじゃないが出来ない。
私に出来ることは、危険な環境の中で仕事をする方々に感謝しながら、私は私の職務を人生をかけて遂行することだ。