私が好きな中国の故事で「人間万事塞翁が馬」というのがある。
【読み】 にんげんばんじさいおうがうま
【意味】 人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
今回は、「人間万事塞翁が馬」を地で行くような経歴の持ち主、Y先輩の人生をご紹介したい。
このお方は、私が公私に渡りお世話になっている方で、天理柔道の大先輩なのである。
この先輩はスペインに移住され、現地で日本料理店を6店舗展開されるなど大変ご活躍されている先輩である。また、バルセロナでは日本人会会長まで歴任されている方なのである。
ここからは私の記憶を辿ることになるので、若干の内容の差異やブレをお許し願いたい。
まずこの先輩は天理大学柔道部を卒業されるときに、事情があって希望する職種に付けなかった。
結果、就職浪人となり、希望する職種を来年度に再度目指すことになった。
しかし卒業後、1年間無職というわけにもいかず、大学教授の計らいもあり、文部省と講道館からの推薦で、1年間の約束でフランスへ「柔道の海外普及と発展」を目的として、講師として派遣される事になった。
けれども当時の待遇は充実したものではなく、その上、知っているフランス語なんてボンジュールぐらいである。まあ何とか苦心惨憺の1年が過ぎて日本に帰国し、日本で就職できると思った矢先、今度は国際郵便の不都合で就職試験願書が日本に到着していなかったのである。
そこで再度、今度はスペインへ2年間、講師として派遣されて行くことになった。
少しばかりフランス語が話せるようになったと思ったら、また今度は一からスペイン語を勉強しての生活である。ここでも苦心惨憺の2年間が過ぎたようだ。
これでやっと日本に帰れると思った矢先、今度は日本から就職に際してなかなか快い回答が返ってこない。理由は、当時まだ公務員の定年退職年齢が58歳の時代に3年間の就職浪人期間があれば難しいという事であった。
なんていう事だろう!
ここまで続くと、普通は自暴自棄になりかねないであろう。
しかしY先輩は凡人とは違った。
帰っても仕事がないなら、ここスペインの地で何とかやってやろうと考えたらしい。
語学も充分ではなく、後ろ立てのない自分に何があるのだろう?と考えた時、思い浮かんだのが「料理の腕」であった。
当時の天理高校や天理大学の柔道部は、一年生の時には当番制で週に2回、寮の食事当番が回って来て、賄いのオバちゃんと一緒に炊事をするのである。その結果、私もそうだが、料理の腕が身につくのである。
Y先輩は、柔道の講師としてスペインで過ごされていた時に、宿舎に来られた方に、何度か、自分なりの日本料理を御馳走したらしい。その時の反応と喜びようが、すこぶる良く、その時から何らかの感触を持っていたらしい。
異国であるが故、言葉の壁、文化の違いなどを筆頭に、はかり知れないほど多くの困難や紆余屈折が有っただろうが、柔道で養った持ち前の精神力と執念で歩まれて、その後、苦労の末なんとか日本料理店を立ち上げられた。
「まさに右も左も分らない状態のまま走っていたが、その当時、スペインでは日本料理店はほとんどなかったから、物珍しさも手伝って、何とか今日まで潰れずやって来れた。」はご本人の弁である。
またほかにも、同じように「柔道の海外普及」という立場でフランスへ派遣され、その後、現地に残り、現在は日本の大手航空会社の現地マネージャーとして大変ご活躍されているH先輩という方もおられる。
この方々は知り合いの中でも、特に「人間万事塞翁が馬」の方々である。
しかし、これに近いことやこのような出来事は、ことの大小は別にして、誰にでも何度でも人生の中で起こりうることである。
こういう出来事には、人智を超越した何か大きな力が働いて、人の一生を導いているような気がしてならない。
超自然的な大きな力の前で、ヒトが出来る事と言ったら、思わぬ不運に襲われたり、窮地に陥っても、「これぐらいの事は大した事ではない!」「この悪い事は、次ぎ起こる良い事の前触れだろう!」と前向きに生きること、諦めないこと。上手く行っている時は、奢らないこと、感謝することぐらいではなかろうか。