前回、「出来ませんと言うのが一番難しい」というブログを書いたが、今回はたった2日で5千枚の毛布を納品してほしいという要請が来た時の話である。
伊豆大島の中心にある三原山が大噴火を起こし、全島民1万人が島外に緊急脱出したニュースをご記憶だろうか?
噴火が起きた当初は、その珍しい風景を見に、全国から観光客が殺到し、お祭りムードであったが、突然 予想していなかったような大噴火が起き、迫り来る溶岩流から逃れるために、全島民1万人を島の外に逃そうという、空前の脱出作戦が行われたのであるが、その避難者たちへ毛布を提供するために2万枚(一人当たり2枚)の毛布を用意してほしいとの要請が当時の政府から当泉州産地内の泉大津市役所を通して、岸和田市、忠岡町、泉大津市、和泉市の商工会にあった。私が所属する組合(当時は忠岡町に所属)では、5千枚の毛布が求められた。
「毛布であれば何だっていい!」とのことであったが、しかし納品の期日はたった2日後である。
その当時の当社は、今よりもずっと会社の規模が小さく、そのため在庫の毛布は少量しかない。今から製造すると言っても、5千枚の毛布を作るとなると通常約30日はかかる。
はっきり言ってムチャクチャな要請なのである。
しかし私の口は「用意出来る!」と言ってしまったのである。
「出来ません」と諦めてしまうのは嫌であった。
11月末の寒い避難所で不安な日々を過ごされる島民の方々に、暖かい毛布を用意したいという想いがあったし、今現在困っている人たちの為に毛布が用意出来ないで、なにが毛布屋だ!という自負もあった。それに、5千枚の毛布をきっちり用意出来れば、名前が売れる!という計算もあった。
当時、私は20代だったこともあり、素人にちょっと毛が生えたぐらいの半人前に思われていたであろう。これは私にとっては名前を売るチャンスであり、ここは赤字を出してでも、何としてでも、絶対に毛布を用意してやろう!と青い私は息巻いた。
私は、過去に当社が備蓄用毛布(当時はまだ消防毛布と言われていた)を販売した問屋さんや代理店さんなど何箇所にもお願いして、当社が販売した価格に上乗せした価格を支払って、毛布を買い戻した。
当たり前だが断られたり、すでに在庫がなくなっていたりしている所も多かった。想定外の価格を言われることもあった。
しかしこちらはもう採算度外視の必死のパッチである!
「こうなったら、いくらでもいいわー!」と買い戻して、買い集めて、他の物件の納入予定を遅らせてもらって、そちらの毛布を伊豆用に回して、外注工場さんにも徹夜で毛布を作り続けてもらって、運送屋さんにも徹夜で送り続けてもらって、そうしてようやく約束の5千枚を期日までに用意出来たのであった。
そんな騒動の中、こんな粋な方もいた。
伊豆用に買い戻しをさせてもらったA社から送られて来た請求書を見ると、なぜか当社からお願いした買い取り価格より安く請求されているのである。しかも当社がA社に販売した際の原料価格より安くなっているのである。
これだとA社はまるまる赤字である。
間違ってるやん!と思ってU社の社長のUさんに電話をすると、「お前、赤字覚悟で毛布そろえたらしいなぁ。丸竹一人でエエかっこするなよ!」と笑って電話は切れた。
なんとも粋で男前な対応に、若造だった私は痺れて、唸ってしまった。
他にも安い金額で買戻しをさせてくれたところがいくつもあり、赤字を覚悟していた私であったが結局はプラスマイナスゼロぐらいですんだ。
名前を売ってやるー!と一人息巻いていた青い私であったが、結局は多くの人たちに助けられ支えられていることを改めて痛感したし、ベテラン勢のカッコ良さに舌を巻き、「やっぱり、かなわへんな」と頭を掻いた、20代の経験である。
伊豆大島のこの体験で経験値を上げることが出来、その後に続いた阪神淡路大震災では約8千枚、東日本大震災では約3万枚の毛布を2日ほどで関連先と連携して緊急に納品することが出来た。