むしろ肩の力が抜けた

天理柔道部は、数名のオリンピック金メダリストを輩出している。

お名前は伏せておくが、とある金メダリストの先輩から、こんな話を伺ったことがある。

酒席での話なので、私の多少の記憶のブレはお許し願うこととしよう。

 

「立花よ、俺はな、ある時まで自分のことを柔道の天才だと思っていた。

しかし大学3年の全日本強化合宿で、今まで勝てた選手になかなか勝てなくなってしまった。なぜ勝てなくなってしまったのか、それが分からず悩み苦しんでいた時に、コーチから思いがけない事を言われた。『お前は柔道の天才ではないぞ』と。『人には進歩のスピードというものがあって、それは人それぞれ違う。お前は人より進歩のスピードが速かったから、これまではトップで居続けることが出来た。けれど進歩の遅い選手もコツコツ稽古を積み重ねて実力を付け、今や、その差が縮まって来ている。お前の肉体的なポテンシャルは、もう天井まで来ている。今のように真正面から戦うだけでは、近いうちに追い越される日が来るぞ。』と言われたよ。でも俺は、それを聞いてフッと肩の力が抜けた。

それまでは只々、強くなりたい一心で、やみくもに練習に取り組むだけだったけど、自分が天才で無いと分かったからには、試合で勝てるように色々と戦略を立て、工夫するようになった。

例えば、わざとスキを作り相手を油断させたり、泥臭い戦い方も厭わないようにした。そうしたら、数か月たったころから、たとえ試合で1本勝ち出来なくても負けなくなった。そしてその後、オリンピック選手に選ばれて、金メダルを取ることが出来たんだ。」

 

以上が、某先輩から聞いた話である。

 

天性の身体能力、才能、勘を兼ね備えた怪物のような天才も世の中にはいる。

この先輩は、そういった部類の天才ではなかったのかもしれないが、努力することにかけては天才であったのだろうと私は思う。

小学4年から柔道を始められ、言葉に尽くしがたい地獄の練習の歳月を重ね、極限まで自分を磨き追い込んで、大学3年の時に初めて自分の限界が見えて苦しんだ。

しかしそこで諦めることなく柔道漬けの生活を続けられ、「戦略の見直しと更なる工夫」を繰り返すことにより、自分の限界を押し上げ、さらに極めて行き、ついにはオリンピック金メダリストとなった。

 

普通ならば、自分は柔道の天才だと信じているところに、『お前は天才ではない』と否定されたら、落胆するだろう。

しかし先輩は「落胆」ではなく、「フッと肩の力が抜けた」とおっしゃった。

その心境を想像してみると、やれるべき事の全てをやりつくして、これ以上何をどうしたら自分は進化出来るのか?それがもう見つけられないほど限界まで自分の能力を極めていた。それなのに、今まで勝てた選手相手に、勝てなくなって来る。

それは出口の無い袋小路にいるような気持ちだったのではないだろうか。

そんな時に、「お前は天才ではない」と告げられ、目から鱗が落ち、見えなかったことが見えるようになった。

天才でないならば、これまでとは違う方法でやればいい!と、今やるべき新しい事(出口)を見つけ、安堵して肩の力が抜けたのではないだろうか。

 

このような心境に到達するまでには、いったいどれほどの凄まじい試練と、それを乗り越える努力が、先輩にあっただろう。

やはり、先輩は、世界一級の努力の天才であると、私は確信した。