合気道の始祖で、植芝盛平翁という方がおられる。この方の本を学生時代に読んだことがある。
その中に、合気道の最大の奥義は「たとえ自分を殺しに来た人とでも友達になる事」と書いてあった。
柔道にも同じような意味の言葉がある。
講道館柔道の理念である「精力善用」「自他融和共栄」。
これは、相手を敬い感謝をすることで信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に世の中を繁栄させようという意味合いである。
私が初めて学んだ武道は少林寺拳法なのだが、その創設者である宗道臣翁の言葉にも同じようなものがあった。
「不殺活人」という言葉だ。
拳法は人を傷つけたりする為のものではなく、己の身を守り、他人を助けるため、そして社会に貢献するためのものであるという言葉だ。
柔道、合気道、少林寺拳法の理念に共通しているのは、競合相手を排除するのではなく受容し、共存し、共に栄えることによって、社会に貢献しなさいという事だ。
学生時代に柔道をしていた頃は、これらの言葉の意味は理解出来ても「ただの理想論だ」ぐらいにしか思えず、たいして深くも考えずにいた。
現役時代はとにかく「勝つ」ということしか念頭に無く、これらの言葉は自分自身にとって深い意味を持つものではなかった。
実際にこれらの言葉が、私にとって意味を持ち始めたのは、社会に出てからである。
ましてや身に染みて理解できたのは社会に出てから10年以上経って30代に入ってからである。
30数年に渡り、経営者として歩ませて頂いていると、何度も好況不況の波を経験することになる。
私が30代だった頃の日本は、バブル経済の崩壊に伴い、ほとんどの産業が不況の真っただ中だった。
当社も御多分に漏れずイーブンポイントぎりぎりで、毎年なんとか年度末を乗り越えている状態であった。
そんな折、誘われて嫌々ながら参加した異業種交流会の席で、私は「自他融和共栄」の意味を初めて本当に理解することになった。
中小規模の外食店のオーナー同士が、食材の「共同買い付け」をして、仕入れ値を下げているという話を聞いたのだ。
また中古車販売業者のオーナー同士がチラシや広告を共同で作り、お互いを販売促進しているという話も教えてもらった。
まさに「敵対した競争」ではなく「融和した共栄」である。
同業他社は「すべて敵」であり、「一生交わることもない」くらいにしか思っていなかった私にとってこの話は雷に打たれたような衝撃だった。
善は急げ!で思い立ったらすぐ行動するのが私である。
翌日には、敵対する同業他社のN専務に思い切って連絡をして訪ねて行った。
N専務の最初の一言は「よう敵のところに一人で来たな」だった。
先制パンチとも取れるお言葉を頂いたので、どうなる事かと思ったが(笑)、その後は敵?である私の話を真摯に聞いて頂け、受け入れて頂いた。
そして共同買い付けやパンフレットの共同制作を一緒にさせて頂けることになった。
それどころか、若手の私を「応援してやろう」と仕事も沢山回して頂いた。
20年以上経った現在も共同での買い付けやパンフレットの制作は続いていて、有難いことにスケールメリットを生かした生産が出来ている。
柔道の現役時代は理想論だと感じていた「自他融和共栄」という言葉だが、今の私にとっては身にしみる程、大きな意味を持つ言葉である。