私は子供の頃より歴史好きである。
こと日本史においては人から嫌がられるほどマニアックである。
今でも時間を見つけては、歴史本を読み漁っている。
歴史の研究は企業運営の戦略や企画を考える上において非常に有用なヒントが多く隠されている。
私が二十歳の頃の話しだが、私の師匠である東建コーポレーション㈱左右田鑑穂社長は新聞に「徳川家康」の研究を投稿されていたり、東海ラジオの「屋号あれこれ」という番組で屋号を鑑定する傍ら、歴史の検証や解説をしたりされていた。
ラジオ局の収録に何度かお供させて頂くうちに益々歴史に興味が湧いてきて、いつか私も本を書こう!と思っていたくらいである。
ところで人生には、勝負しなければいけない「ここぞ」という時があるが、そのような時には、私は自分を武将に置き換える。
私は見た目とは違い、意外と繊細な面もあるので(笑)、不安になったり考え過ぎたりしてしまうのだが、腹を決めて突き進まなければならない時には、「自分は戦国時代の武将だ!」と自己暗示を掛けることにより、肝が据わり一意専心出来るのである。
この方法は近年始めたわけではなく、子供の時分から、このような精神構造を持っていた為に、私の「自己暗示」は並外れて強烈で、思い出せばこんな事があった。
柔道の大会での事である。
私は完全に武将になりきっていた。
相手校の選手が明智光秀、亡き主君の織田信長が加藤秀雄先生。
私は主君のかたき討ちをして天下を取る羽柴秀吉。
試合が始まるとここが試合会場だという事も忘れ、柔道の試合をしているという事も忘れ、ただただ「主君の敵討ちー!!!」とばかりに攻めたその結果、柔道にはないような技を興奮のあまり使ってしまった。
審判の先生(伊藤剛先生 当時 大阪産業大学監督 当時6段)に「あまり無茶なことはしないように!」と注意をうけた。
それにより我に返り試合をなんとか続行出来たが、今のルールなら確実に反則負けである。
当時、その試合はテレビ朝日の中継があり、審判の先生に怒られる私の姿が全国放送されてしまった。
さらに試合後には、コーチの松本薫先生(当時5段)にも「お前の勝手やから誰の設定でも構わんけどアホな技をするな」と怒られた。
その印象がよほど強かったのか未だにOBの集まりでは、「お前は確か空手部やったよな?」とからかわれる始末である。