高校3年生の夏のインターハイ、決勝戦での不思議な話。
その4ヶ月前の春の全国大会で優勝した私たち柔道部は、春夏連覇の大目標を掲げ皆一丸となっていた。
何度も土俵際に追い込まれながらもギリギリの所で踏みとどまり、決勝戦まで勝ち進んでいた。
皆の興奮や熱気を全身で感じながら、私の心はズシリと負い目を感じていた。
春の大会で切れた靭帯と潰れた半月板が完治せず、それが原因で私の足は思うように動かないでいた。
その為、私は2回戦から準決勝まで3回連続で負け続け、仲間たちに首の皮一枚の苦戦を強いてしまっていた。
いよいよ決勝戦。
決勝戦は5人戦で私が大将だった。
幸か不幸か1勝1敗2引分、しかし内容負けの状態で自分の出番を迎えることになってしまった。
引き分けても負けで、勝たない限り優勝はない。
あの当時の我々には「準優勝」は初戦敗退と同じなのであった。
「全国優勝」のみを手に入れる為に、皆の青春の全てと、練習漬けの難行苦行の日々はあった。
そしてこの試合は私たち3年生にとって最後の試合でもあった。
猛烈に重たいモノが私の肩にかかった訳だが、私の足は怪我で動かず3連敗中。
はっきり言って高校生活最大のピンチ、絶体絶命である。
「えらい事になってしまった・・・」
心臓がドクンドクンと波打ち、拳の中は汗でまみれている。
「死んでもいいから勝ちたい!神様!!」
そんな難局で思い出したのが、天理柔道会の会長をされていた中山正信先生の言葉であった。
「試合でここ一番困ったり苦しんだりした時は、取り敢えず理屈ぬきに心の中で祈ってみろ!」
私は無我夢中に一心に祈った。
ただひたすら一心に念じていたせいか、いまだに夢のようで、祈っていた事以外その間の記憶がない。
私の心の中は不安も恐れも迷いもなくなり、あるのは「祈り」だけであった。
「立花~!」という声援が耳に入り、ハッ!と我に返ると開始線に立っていた。
声の主は応援に来てくれていた左右田社長のものだと判別出来たぐらい頭の隅は落ち着いていた。
試合が始まってみると、どういう訳か足の痛みが消えていた。
準決勝までは満足に動かなかった左足が100%の能力で試合の間だけは動くようになっていた。
そしておかげさまで私は1本勝ちすることが出来て逆転勝ちし、春夏連続全国優勝させて頂く事ができたのである。
試合後に分かったことであるが、柔道部の皆も中山先生の言葉を思い出し、心の中で叫びながら祈ってくれていたそうだ。
のちに見たビデオ映像には、手を合わせながら私を応援してくれている仲間たちの姿が写っていた。
<第28回 全国高等学校総合体育大会 優勝決定の瞬間>