天理高校に在学当時、倫理社会担当で益田多鶴子先生という女性がいた。
その先生の3学期最後の授業は私の中で生涯忘れがたいものとなった。
それは松尾芭蕉の「奥の細道・月日は百代の過客にして・・・」の解説を折り込んだ授業だった。
簡単に書くと、世の全てのものは移り変わり、いつまでも同じものはないという「無常」についての内容だったと思う。
そしてその授業の最後に先生は「人の心は移ろい行くものなので、今日こうして授業を受けたことも、きっと皆さんは忘れてしまうでしょう。もし忘れてなければ20年後私に手紙を下さい。でもきっと手紙は来ないでしょうね。」と先生がおっしゃった。
それを聞いて私の「いたずら心」に火が付いた。
20年後の1999年に必ず手紙を書いて先生をビックリさせてやると、ほくそ笑みながら決意した。
天理高校の校章が梅の花だったので梅の花が咲くころになると必ず先生との約束を思い出した。
月日が流れ、なめ猫とやらが流行したり、バブル景気が始まったり、冷戦が終結したりしながら1980年代が終わったが、私はあの日の決意を忘れなかった。
1990年代に入りバブルが崩壊したり、「のぞみ」の運転が開始されたり、阪神大震災が起こったりしながら時代は移り変わっていったが、私はあの日の決意をまだ覚えていた。
特に最後の365日は、「あと何日」と待ち遠しいほどであった。
そしてついに待ちに待った20年目!
18歳の少年だった私は20年の月日を経て、すっかり中年のオヤジに変貌していたが、先生の反応を想像し、あの授業の日と同じように心の内でほくそ笑んでいた。
学校に先生の消息を確かめると退職されていたが、住所は分かったので手紙を出すことが出来た。
返事はすぐに来た。
「そういわれると確かにそのような事を申したような記憶が有ります。」
「驚きました。あなたのような生徒は初めてです。」と書いてあった。
先生からの手紙を何度も読み返しながら、ようやく20年越しの達成感を得た。
そしてその後、何度か文通するうちに「1度お会いしましょう」ということになった。
20年振りに再会し、互いの近況を報告し合った。
先生は「スリランカの教育を支援する会」を立ち上げ、熱心にボランティア活動をされていた。
私も協力させて欲しいと申し出て、その一端に入れて頂いた。
その年から10年後
スリランカに内戦が勃発して渡航できなくなり、また先生が親の介護を行う立場になられたことも有って、会の解散を決められた。
10年間、微力ではあるが支援させて頂け、会を通して先生と交流させて頂けた。
人の心は移ろい行くものであるらしいが、私の小さな悪戯心は20年間移ろうことはなかった。この話を知人にしたところ、「それはお前が変わり者だから成せた業」という嬉しくない見解をもらってしまった。
ちなみに私の座右の銘は「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」である。
ようするに私は、とってもしつこい人間なのである。
左:先生からのお手紙
右:スリランカの教育を支援する会会報誌